日々録」カテゴリーアーカイブ

やさびしいかるた

今週は思いがけないことがありました。

「あの、以前千駄木のお店のときに、お店の前のスペースでかるたのイベントをしたいとお声がけさせていただいて、そのときに貸はらっぱ音地さんをご紹介いただいた者です。」

帳場の前に立たれたのは、読み札と絵札を正解で合わせるのではなく、言葉と写真をその時の直感で合わせるオリジナルかるた「やさびしいかるた」を作っているかわぐちさやさんでした。

千駄木の店のときに、前のスペースを使わせてもらうには、、というご相談だったと思うのですが、ちょっと条件的な難しさもあって貸はらっぱ音地さんをご紹介したのでした。
音地さんで初めて人前でイベントなさったのをきっかけにHAGISOさんで展示ができることになったり、大道芸 ヘブンアーティスト ライセンス認定を得たり、鬼子母神の手創り市に出店したり、といろいろ活動の場が広がっていったのだそう。
「すべてのはじまりはほうろうさんに音地さんをご紹介いただいたことから始まったのです。今年やっと流通できるかたちのかるたを作ることができたのですが、その矢先のコロナで、、でも今日、やっとこちらに来られました!」と、カバンから『やさびしいかるた』を出して、プレゼントしてくださいました。(せっかくなので販売用も1セットお預かりしました。)

うちが何かした、というより、かわぐちさんが一歩を踏み出したことで広がった、のですが、でも、そんなふうに何年もおもってくださってたのはうれしいです。
ここ最近はコロナにも政治もどんよりしがちでしたので、急に雲間から陽が射したみたいな明るい気持ちになりました。

かわぐちさやさんの「やさびしいかるた」(2,800円+税)
 1. 写真の札を場に広げます
 2. 言葉の札を読みます
 3. 言葉からイメージした写真の札を選びます
 4. なぜその札が合うと思ったのか、心の中でまたは言葉にして話をしてみましょう
https://yasabishii-carta.amebaownd.com/

ひとりでも多くの方に見ていただきたくて、店の入口すぐのレンガの壁に、絵札(写真)の一部を貼りました。
左下に読札(言葉)が置いてありますので、こっそり合わせて遊んでみてください。

 

営業再開に際し、古書ほうろうからのお願いです。

お客さまへ

たいへんご無沙汰してしまいました。
コロナだけでなくニュースを見るたび憂の尽きない2ヶ月でしたが、みなさまはどのようにお過ごしでしたか。

古書ほうろうは、6月3日(水)より営業を再開いたします。
営業時間は当面、12〜20時(1時間早じまい)でスタートします。
定休はこれまで通り、月火定休です。

まず物販のみでスタートし、お客さまの流れや感染の状況をみながら喫茶のほうの再開に繋げたいと考えています。

臨時休業中も買い取りのご相談や、通販でのお買い上げ、たくさんの励ましをありがとうございました。
しばらくぶりのご対応で挙動不審になるかもしれませんが、のんびりぼちぼちやってゆきます。
東京の感染者数もいまひとつな動きが不透明のようですので、どうかくれぐれも無理のないようになさってください。

〜〜〜ご入店に際してのお願い〜〜〜

■ 体調の悪い方はご入店をお控えください。
■ 必ずマスクをご着用ください。
お持ちでない方には使い捨てマスクを実費(50円)にてお分けいたしますのでご協力ください。
■ 汗ばむ季節に入りますので、ご入店後、まずは手洗いをお願いいたします。
■ トイレのご使用はしばらくの間ご遠慮ください。
■ 店内に複数のお客さまがいらしゃる場合は、距離感を保つようご協力ください。

臨時休業のお知らせ

新型コロナウイルスの感染が拡大している状況をふまえ、3月28日より営業を見合わせております。

東京都の休業要請期限は5月31日までですが、状況によっては6月1日以降も引き続き休業いたします。その都度判断していくつもりです。

今後の変更につきましては、Twitterで発信するとともにこちらに掲載いたします。なお、「日本の古本屋」での通販は継続中です。

お問い合わせは、メニューのお問い合わせフォームからお願いいたします。
(2020年5月6日更新)

安倍政権による、人権を踏みにじるさまざまな行為は許されるものではありません。
抗議、意見し続けます。

医療従事者のみなさま 病院勤務のみなさま
配送ドライバーのみなさま
そのほか社会生活維持のためお仕事を続けてくださるすべてのみなさまの安全に
少しでも協力できるよう知恵を働かせます。

台湾報告その1 海外神社跡編

1/14〜21に連休を戴いて、台湾を旅してきました。
1年間台北で暮らしている友人家族に会いにいくのが目的だったので、はじめは小さな旅のつもりでしたが、十数年ぶりの海外、次はいつ行けるかわからないと思うと欲が出てしまって、いつのまにか計画は膨れ上がり、6泊7日環島の旅となってしまった次第。

初日と最終日の宿だけ予約し、あいだの4泊は、行き当たりばったり。
とはいえ、予約サイト充実していることが目新しく、4泊分は前日にオンラインで翌日の宿をとる、という流れになりました。まぁ現地に着くとサイトに掲載されていないような宿もたくさんあるんだ、ということがわかったのは学びのひとつでした。

旅程はざっとこんな感じでした。

1日目 羽田→松山→台北→(圓山大飯店/台湾神宮跡)→北投温泉泊
2日目 台北→嘉義泊
3日目 嘉義→台南泊
4日目 台南→屏東泊(阿猴神社跡)
5日目 枋寮→《南廻線》→金崙→枋寮→佳冬(佳冬神社跡)→枋寮泊
6日目 枋寮→宜蘭→瑞芳→金瓜石
7日目 金瓜石(金瓜石社跡)→桃園→成田

着いた日と翌日午後までは、友人夫妻のご案内で、台北の主に書店めぐりをしました。そのご報告はまた改めて。

ピンは宿泊地です。

今回は、海外神社跡を訪ねたご報告です。
台湾行きのタイミングがもっと早かったら、まったく思いつかない観点でした。

昨秋開催した編集グループSUREによる連続トークイベントでお話しくださったうちのおひとり、SUREからは2015年に『「大東亜共栄圏」の輪郭をめぐる旅ーー海外神社を撮る』が出版されている写真家・稲宮康人さんとご縁ができました。
ちょうど、稲宮さんが10年かけて撮影してこられた海外神社跡写真の集大成となる『「神国」の残影』が国書刊行会から刊行されるタイミングとも重なり、当店でも10月後半から年末にかけて写真展を開催させていただきました。
そんな流れから毎日「海外神社跡」の写真をみるようになり、海外神社の存在に思いを巡らせるようになりました。

台湾は、1895年から1945年まで、日本により統治されていた時代があるため、大日本帝国が建立した神社の数も多いとのことでしたので、この機会に訪ねてみよう、と思ったのでした。
稲宮さんからは金子展也『台湾神社故地への旅案内』(神社新報社)をお借りしたほか、こちらの地図の存在も教えていただきました。

 

日付順に辿ると、ひとつめは、車窓から見ただけですが、台北から北投温泉へ向かうMRT淡水信義線から、あれだ!と一目でわかる圓山大飯店〈台湾神宮跡〉を確認しました。

 

緑色のイルミネーション向かって右側に橋があります。

次に出会ったのは、屏東でした。客家伝統茶をたっぷり時間をかけて味わったあと、台湾産のコーヒーが飲めるカフェに向かう途中、屏東公園に〈阿緱神社跡〉の石橋を見つけました。こちらは、稲宮さんの写真集の「著者が調査した海外神社跡地一覧」に名前が載っています。ちょうど旧暦の正月を迎える時期で園内は眩いばかりのイルミネーションに彩られ、若いグループがたのしそうに写真を撮ってました。石橋のかかる池も光を反射させていました。

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

 

3つめは佳冬神社。駅を降りて、まずは客家の住宅が残る小径を散策したのち、ココナツやバナナの農園、なにかわからない養殖池などを両側に見ながら人通りの少ない道を歩いて神社を目指します。神社跡を目指さなければ、ぜったいに歩くことのなかった道です。
バス通りに出てしばらく歩くと、稲宮さんの写真の通りの鳥居が現れました。小さな石橋もわたり、参道を進みます。沿道の民家では、お正月の準備でしょうか、玄関の上に貼られた赤い横長の紙の文字飾りを脚立にのった男性二人がスクレーパーで剥がしているところでした。ほどなくして着いた社殿基壇に上ってみると、鬱蒼と木々が生い繁っていてます。いかにも南国らしい風情の実がたわわになっていました。あとで調べたところコパラミツという名でした。

帰りもスクレーパーの男性二人は気の遠くなる作業を続けていて、先ほどは離れたところにいたおばあさんが脚立の足元まで来ていて、二人に向かって何か指示を飛ばしているのでした。
これを書く段になり改めて稲宮さんの写真集を開くと、参道の両脇にずらりと並んでいた灯篭の痕跡がいまでも見られたっぽい。残念ながらそれには気づきませんでした。

台東駅あたりの車窓からの眺め

幕末の上野戦争のときに寛永寺門主だった輪王寺宮、のちの北白川宮能久親王は、寛永寺から逃れたあと、めぐりめぐって48歳のときに台湾征討近衛師団長として出征しますが、台南にて落命します。皇族では初めて外地での殉職者となったため、台湾の神社の祭神として名を連ねられていることが多いことは、稲宮さんのトークでも説明されたことですが、実際に台湾をぐるっと鉄道で廻り、車窓から、南へ行くにつれ濃度を増していく風景、神々しく聳える山々が織りなすダイナミックな風景を目の当たりにすることで、やっと史実として感じることができました。
ここまでの3つの神社には、能久親王が祭神として名を連ねていたそうです。

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

そして最後が、金瓜石社跡。観光メッカあの九份からもバスで10分くらいのところにもかつて神社がありました。

われわれは夕方の便で日本へ帰る最終日の朝、スーツケースを宿に置き、金瓜石の宿から神社跡を目指しました。

鉱山として栄えた過去を伝える黄金博物館の入口近く、視界を割くように現れたのは、「全家(ファミリーマート)」の看板。店先では店員さんが、なにやら巨大な空気人形のようなものを膨らませようとしているところでした。あまりに唐突な光景に立ち止まりそうになるも、我々の目的は神社跡、黄金博物館もパスしてるので前進前進。
いよいよ登りがはじまるその手前には、鉱物を運搬していたトロッコ軌道跡もありました。黄色味が強い足元の土は、前の晩の雨でぬかるんでいるため、滑らないよう集中しつつ、一歩一歩。山道、じゃなくて参道の石段を登る、登る、登る。
ひとつめの鳥居で腰を伸ばして、振り向くと、山と山の間から遥か基隆の方向に海が見えました。絶景。曇天でしたが様々な鳥の清々しい鳴き声が響きます。
後ろから黙々と登ってきた男性が私たちの写真撮影を待ってくださったり、追い越してもらったり。ときどき立ち止まっては、建物がどんどん遠く小さくなるのを確かめながら、ひたすら登る。
ようやく神社跡に着くと、梅のような濃いピンク色の花が迎えてくれました。先ほどわれわれを追い越した男性は戻ってきたところで、お互いこの石段を制覇した者どうし軽く微笑み、男性は「I’m tired.」と呟きくだっていかれました。

入口の大きな鳥居の柱には、昭和拾弍年七月吉日と彫られていました。
その先には柱だけが何本も天に向かって伸びていました。神社跡というよりギリシャ神話か何かの神殿遺跡のようでもありました。

しばらく絶景を眺めながら息を整えているところに、自分たちよりも15歳くらい年上と思われるご夫婦が到着。奧さんに立ち位置など指示しつつ時間をかけて写真撮影しておられました。

金瓜石社は鉱山の持ち主となった日本鉱業が建立、大国主命、猿田彦命、金山彦命が祀られたそう。それにしても、よくもこんな山の中腹に資材を運んだと思うし、稲宮さんも大判カメラと三脚担いでのぼったんだよね、と遠い目で頂きの方へ目をやると、坑道はさらに山の上の方まで続いているのでした。

下りも滑落しないよう慎重に。中盤から膝が笑いはじめましたが、チェックアウトの時間も迫ってきていましたので、ひたすら下る、下る。
行きに通り過ぎた全家(ファミリーマート)の店先には、空気で膨らませたゲートが設置されていて(人形ではなかった)、なんとこの日がオープンだったのです。黄金色のジャケットに赤いスカーフといういで立ちの、恰幅のよい、どこからどう見てもこちらがオーナーだろうな、とわかる紳士を囲んで野外セレモニーの最中でした。みなさんうれしそうな顔でした。

以上がこの旅でわれわれが記憶したこの日の神社跡の風景です。
行く先々で自転車を借りて周るつもりだったので、もう少し出会えたかもしれないのですが、台湾は右側通行、さらに夥しい数のスクーターが走っており、とても流れに乗れそうになかったので断念しました。
海外に建てられた神社には、日本人移民により建てられたものもあるため、すべてが大日本帝国絡みではないですが、すでに営まれている生活に分け入り、「神」を祀り、そして敗戦とともに廃絶、、75年の歳月が過ぎ跡形も無くなってしまったところも多いでしょうが、その過去は胸に刻んでおかなくてはいけません。
機会をくださった稲宮康人さんとSUREのみなさんに感謝。

はじめに戻りますが、こうしてたった数箇所だけ訪れただけで、稲宮さんの写真集『「神国」の残影』(国書刊行会)がいかに大著かを改めて実感しました。さすがに一家に一冊、というわけにはいかないでしょうが、これからの世代の方々にも伝えるため図書館や学校の図書室にもぜひ所蔵していただきたいです。

池之端でひと月が過ぎました。

池之端で営業を再開してひと月が過ぎました。

追い詰められた3ヶ月、のち、再び多くのお客さまをお迎えできるようになってのこのひと月、ほんとうにありがたく、ひさしぶりに陽を浴びているような感じです。
千駄木のお客さまも、やっと開きましたね〜とご来店くださり、小さくなってもほうろうエッセンスは変わらない、前よりも一冊一冊がよく見える気がする、とおっしゃってくださる方も多く、重圧が少しほどけ、ひとまず安堵しています。

12月の賃料値上げ通告から半年、長い長い移転作業となってしまいましたが、営業を再開できたのは、たくさんの方々が関わってくださりお力添えいただけたからこそでした。古書ほうろうは、バックに資本があるでもない、通帳の上を3桁、4桁の数字が出入りしている小さな規模の店なので、ともすると「店=自分」自分たちがつくっているという考えに陥りがちですが、いかに多くの方々が関わってくださっているうえで成り立っているか、ということを身を以て知る機会にもなりました。
あらためましてお礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

まず必要なのが容れものでした。ほうろうの場合は、千駄木から遠くない路面店が第一の条件で、ネット検索でたまたまヒットしたのがこの物件でした。これまでバス通りに面していましたので、裏道、という不安はありましたが、面積が千駄木の3/5、賃料はほぼ半分ちかくまで下がるのは何より負担が減ります。相場が上がるばかりのこのあたりにしては、良心的な賃料でした。そして仲介の不動産屋さんの名前を見て、おぉ!となりました。なんと一箱古本市の大家さんも引き受けてくださっている根津のハウスサポートさんだったのです。先行き不安しか無いなか、旧知の小松栄子さんにお任せできるということは何より安心でした。
果たして内見させていただくと、東京大学の池之端門は、東大病院に近いということもあり、出入りが多い。道行く人も少なくはない。タナカホンヤさんからほどよい近さで、なんとStore Frontさんという予約制ではあるけれどアート系の古書店と同じマンションでした。
これはやるしかない、と感じつつも、迷い揺れる我々の背中を、小松さんが終始さりげなーく押し続けてくださいました。(Store Frontさんは、もうすぐ予約なしで入れるようになるそうです)
そうして出会うこととなった新しい大家さんは、店子の声に耳を傾け、心を尽くしてくださる神様のような方でした。(涙)

元は代々飲食店だったため、内装工事は必須でした。こんな自分たちが居ていいのかと思うようなすてきな内装、設計と施工は、千駄木でご近所だった建築家の山村咲子さんと、千石の寺井工務店さんの手によります。
山村さんとは何年も前から接近遭遇を重ね、2016年に古書ほうろうで開催された「谷中と、リボンと、ある男」展で言葉を交わすようになり、翌年の5月から千駄木4丁目の住宅街に、同じく建築家の謡口志保さんとともに「千駄木マド」というレンタルサロンを開かれて以来、親しくさせていただくようになって、新築だけでなく、古い建物や部材の保存活用のための活動やお仕事にも力を注がれていることを知りました。
今回の移転に際しては、寒風吹きすさぶなか内見にご同行いただいたのにはじまり、実に膨大なお時間を共にしてくださいました。
東京大学のディテールに調和しているかのようなレンガの壁は、おそらく竣工当時からのもの。おしゃれ感を醸し出しているガラスの照明器具も前の店で使われていたもの。そんなチャームポイントを活かしつつ、古本屋に仕立て直してくださいました。谷根千〈記憶の蔵〉の改修の際ゆずっていただいたものの何年も千駄木のバックヤードで日の目を見るのを待ち続けていた柱材はカウンターのアクセントにしてくださいました。
山村さんが引き合わせてくださった寺井工務店さんは、(お金も時間も)無い無い尽くしのわれわれの救世主で、その都度希望を汲み入れてくださりつつ、ほんとうに短い日数で、バシッとすばらしい内装にしてくださいました。
小部屋のあるおもしろい間取りなのですが、その床も自慢のひとつで、経費を切り詰めるため、toolboxから取り寄せた床板をほおずき千成り市の友人たちにオイル塗装してもらったものを、寺井工務店さんが敷き詰めてくださいました。小さなスペースですが、古本も並んでますのでお見逃しなきよう。
コーヒーもお出しできるようになりましたので、小部屋の窓辺のテーブル席でぜひ。

次に什器類。ほとんどは千駄木から持ち込みましたが、メインスペース中央に連なる5台の可動棚は新調しました。イメージやサイズの希望を、山村さんが図面にしてくださり、根津の澤新木材さんが製作してくださいました。
ずいぶん前に千駄木の店のスチール棚を可動式にした際、台座のベニヤ板を澤新さんにお願いして以来、再び可動棚でお世話になりました。ハンマーキャスター推しの材木屋さんです。

庇テントは(訳あって赤にしましたが)、千駄木でずっとお世話になってきたお向かい八木沢不動産さんのご紹介で根津の瀬戸商店さんに設置していただきました。古い骨組みを活かして、長年の夢だった全面庇にしてくださいました。

ちなみ内装などにかかった費用は、厨房の水まわり(コールドテーブル、2槽シンク、換気カバーなどは残置物再利用)、厨房内床上げ、既存カウンター撤去、カウンター新設、帳場まわりの造り付け棚、店舗の天井を抜く、ダクトまわり、電気配線などの見直し、ライティングレール設置、壁塗装、床板などの施主支給、新調したキャスター棚、テント庇、設計費を含め、おおよそざっくりですが550万くらい。

もっとも不得意と胸を張れるお金のことは、毎年イチから決算書の見方を教えてくださる税理士の森山太朗さんに、確定申告前の繁忙期というのに泣きつき、融資のことなど、いろいろご提案いただきました。移転にかかる費用(上記の工事費の他、物件借り入れ費用、様々な諸経費)すべてを借り入れる必要がありましたので。
最終的に貸してくれたのは政策金融公庫でした。金利面では、移転先となる台東区の中小企業用の制度のほうが負担が少なかったのですが、区内で創業して1年以上などの条件をクリアできませんでした。また創業からのほうろうのメインバンクである城北信用金庫さんにも訊いてみましたが、借り入れ、返済の実績がないと難しいとのことでした。
登記の書き換えは森山さんにご紹介戴いた司法書士の石川直也さんにお願いしました。

できれば借金はせず、ともかく内装にお金かけるくらいなら手元に残しておたほうが身のため、棚をいじってるくらいなら一日でも早い開店を。
いったいこれまで何人の方にしたり顔で言ってしまったんだろう。。顔から火が出るくらい、今回すべてが当てはまりませんでした。。

千駄木の貸主から立ち退き料がもらえたか、闘えばよかったのに、と何人かの方に訊ねられましたが、もちろんそのようなことはなく、値上げ前の賃料34万円を毎月払い続けるだけで精一杯だったのと、漏水の頻度を考えると、この機会に移転に全力を尽くすのが身のためと判断したのでした。

実際の移転作業については、3月3日に千駄木の営業を終え、ひと月もあれば移転できるだろうと踏んだあの頃の自分たちは返す返す恨めしく、、できるかぎり人の手を煩わすことなく搬入搬出もしようと(できるだろうと)考えてしまった読みの甘さは、最後の最後まで改善されることなく、、自戒を込めて何度でも書きますが、実際やってみると、引越し業者に依頼しない(できない)移転作業というのは、協力してくださる方々なしでは実現不可能なことでした。

結果、千駄木から池之端への移動は、一度では運びきれず、4月5日と4月25日の2回となり、その度にいつも直前になって急な呼びかけをすることに。
そんな綱渡りを気にかけてくださり、多忙なはずの近所の友人たちがいの一番でメールをくれたり、近所のお店の方が開店前に駆けつけてくださったり、一箱古本市の助っ人さん、店主さん、サウダージな夜チームの皆さんや、ほおずき千成り市の仲間たち、、片っぱしからご好意に甘えさせていただくこととなりました。
搬入搬出のない地味な作業の日々も、仕事帰りに千駄木に連日通ってくださり、スチール棚を雑巾で拭き上げ結束していただいたりもしました。
そうして膨大な本をひたすら縛っていただき、初顔合わせの方たちが次の瞬間には気の遠くなるようなバケツリレーをすることになるという、計画性とは対極の作業に、千駄木閉店を残念に思ってくださるお客さまも手を挙げてくださったことは、それだけでもありがたいことでしたが、搬入前のがらんとした池之端の店をご覧になって「ここなら次の楽しみになります。ようやく気持ちの区切りがつきました。」と爽やかな笑顔で仰ってくださったのはほんとうにうれしいことでした。

池之端の旧テナントに残されていたテーブルやベンチ、千駄木のテーブルやスチール棚なども、大勢の方々に引き取っていただきました。なかでも近所の同業、古書 書肆田髙さん、古書鮫の歯さんが申し出てくださったことで、スチール棚たちに次の役目が与えられ、気持ちの負担もずいぶん軽くなりました。

オヨヨ書林さんが根津の店から移転する際譲ってくださった置き看板は、池之端へのUターンは叶いませんでしたが、廃棄の山から古書鮫の歯さんが発見してくださり、なんと、鮫の歯さんの看板コレクションに加えてくださることなりました。思いがけない幸運に、よし、これで千駄木を終わりにしていいんだな、と顔を上げることができました。

最後の最後、ガラスのショーケースと壊れて使えない本棚など、2tトラック2台ほどは東京廃品回収センターに持って行っていただきました。
別業者に依頼した残置物の業務用ガスコンロ台なども含め、廃棄に20万ほどかかりましたので、什器類を多くの方に有償で引き取っていただけたのはほんとうに助かりました。

売るほどの在庫を抱えていた、ということは、古書組合の同業者の市会に出品することで、売り上げを立てられたということでもありました。3ヶ月もの間店を閉め、うち2ヶ月間は家賃の二重払いという厳しい状況でしたが、市会の売り上げと、あとは、閉店セールでお買い上げいただいた売り上げがあったことで、凌ぐことができました。
積まれた箱を開けるたびに放置してしまったことを心のなかで詫び、選別し、池之端へ持ち込まないと決めた在庫は、毎週、毎週、市会に出品しました。市会の仕分けでは、三楽書房さんにとくにお世話になりました。

市会への運搬と、2回にわたった池之端への運搬をしてくださったのは、神保町の篠崎運送さんです。
そしていつも出張買取などでお世話になっている赤帽深大寺運送さんにも、自宅退避の數十箱の移動など、何度かお願いしました。
ピアノの移動は、インターネットで見つけたタキガミピアノさんに運んでいただきました。

CDもたくさんありました。レコードやDVDも含め、およそ4000枚をディスクユニオンさんに買い取っていただきました。(ここだけ枚数が出るのは、明細をいただいたからです。古本は数える余裕はありませんでしたので。)

近年の海外からの旅行者景気やオリンピックのあおりをまさか自分たちもこんな形で受けるとは思ってもいませんでしたが、大家さんが賃料値上げを提示してきた、という話を知り合いの店主さんたちからしばしば耳にします。

貸す側にしたら今はよい風向きかもしれないですが、経済の最小単位は、一人の人です。一人の人が、商売を続けられなくなるとうことは、買い物が減り、企業の売り上げも落ちる。社員の給料も落ちる。
一人の人が商売を続けられない場所には、大きな資本が入ってくる。個性がなくなり均質化した町は面白みがなくなり、人が来なくなる。小さな単位は、個々の人生の単位で入れ替わりができるけれど、大きな資本が永遠に続くことはなく、力尽きれば一気にゴースト化してしまう。

オリンピックが終わってかりそめに焚きつけるものがなくなったらどうなるのか。そうでなくても、前年を上まわり続けなければ成り立たない経済は破綻する気がしていますが。
ひとつひとつの貸家が、単なる収入源ではなく、町を構成する要素だということを意識している大家さん、不動産屋さんの存在も知っています。
なので、そうじゃない大家さんには、どうか安易な値上げに走る前に一度立ち止まって考えて欲しいです。店というのが、個人の努力だけではどうにもならないことだとよくわかりましたので。

話が逸れました。あまり大きな風呂敷を広げると収拾がつかなくなってしまいます。
広かったけれど小さな単位の店の移転に、想像をはるかに超えるたくさんの方が関わってくださり、気にしてくださったことに、正直驚いてもいますし、こうして次の場を与えていただいたことに、まだまだやることはたくさんあると感じています。
棚の前でひっそりわくわくしたり、静かに羽をやすめられる、そんな店にしていけたらいいなぁと思っています。

不忍ブックストリートのメンバーをはじめ、親しい方たちが急かすことなくずっと待っていてくださったこと、千駄木のマンションの方たち、ご近所の方たち、近くの遠くの友人たちが、ずっとそっと応援していてくださっていたことで、今こうして日々録を書くことができています。
ほんとうにありがとうございました。

長々と書いてしまいましたが、書ききれなかったこともたくさんあります。記憶が吹っ飛んでしまっている部分も多々あるかと思います。
ずっと下書きを重ねてきた割に読みづらいままですが、感謝をお伝えしたく書きはじめた文章なので、ちょこちょこ手直しするかもですが、ひと月を機に、ひとまずこの状態で公開します。

最後に営業のご案内を。
千駄木から2駅ほど南に移っただけと思っていましたが、夜の訪れの早さなど、周りの環境ががらりと変わり、完全夜型だった自分たちが少しだけ朝型に自然とシフトしたのは意外なことでした。
雨の日はバス通勤になってしまうことなどもあり、営業時間を見直しました。12時開店は変わりませんが、夜は21時閉店となります。

定休日は、月火(祝日の場合は営業)になります。
1日は、仕入れや仕込みなど営業中にできない作業に充て、1日は当面完全休養するようにしました。(といっても、わが家の1LDKの「1」部分が、まだ行き場のない古い帳簿類や本たちの山が聳えていますので、そちらも少しずつ着手しないと、、なのです。)
臨時休業などは、ホームページtwitterにてお知らせします。

これまで通り、古本、CD、レコードの買い取りもしておりますので、お気軽にお声がけください。
あとは、まだお飲み物だけですが、オリジナル焙煎したお豆をハンドドリップしたコーヒーや、手作りシロップの冷たいお飲みものなどをご提供できるようになりました。

不忍池の蓮の葉がわらわらと生い茂ってきました。花の見頃は20日ごろかしら、と近所の方に教えていただきました。お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

写真は、山村咲子さんが撮影してくださった5月29日オープン日の古書ほうろうです。

2019年5月29日より池之端にて営業を再開いたしました。

ひとつきあれば終えられるだろう、、なんて、読み違いもいいところで、千駄木退去に2ヶ月、池之端の棚を整えるのに1ヶ月、ゆうに3ヶ月かかってしまいましたが、たくさんの方々に様々なかたちでご協力、応援していただき、やっと池之端で営業を再開することができました。ほんとうにありがとうございます。

3ヶ月の間、ほぼ毎日店にこもり作業していましたが、どんなに手をかけて棚をつくっても、やはり店はお客様が来てくださることで、血が通いはじめ、並んだ本たちもキリッと背筋を伸ばして、活き活きしてくるのだと実感した一週間でした。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

様子をみながら調整するかもしれませんが、当面の営業時間、定休は下記になります。
水〜日曜日 12〜21時
月火定休(祝日の場合は営業)

なお、GoogleMapのインフォメーションは、定休日の設定ができなくなってしまっており、苦肉の策で対応してます。
正しい情報ではありませんのでご注意ください!

2019年3月3日をもちまして千駄木での営業を終了いたしました。

おかげさまで2019年3月3日をもちまして千駄木での営業を終了いたしました。

多くの方にご来店いただき、おひとりおひとりうれしそうに本をお探しになる姿を帳場から拝見できたのは幸せな時間でした。

本はまだまだ大丈夫。がんばろう!という気持ちになりました。

これから4月にかけて移転作業に入ります。作業中は、在庫のお問い合わせなどにご対応することができません。どうかご理解ください。

池之端の新店舗で営業を再開いたしましたら、改めましてお知らせさせていただきます。

古書ほうろう 宮地健太郎・美華子