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稲宮康人写真展「東北の10年 — 土地を聴く、風景を積む」3/10〜4/25
2021/03/10 - 2021/04/25
一昨年、編集グループSUREの連続トークイベントに際し写真展「海外神社跡地をめぐる」を行った稲宮康人さんの東北の写真展を開催します。東日本大震災以降の東北の10年間を、4×5(シノゴ)と呼ばれる大判サイズのフィルムに収めてこられました。
上写真:福島県双葉郡双葉町中田 2020年3月7日
2020年に行われるはずであった東京オリンピック開催に合わせて、福島第一原子力発電所が立地している双葉町、大熊町の帰還困難区域の一部の避難指示が解除された。だが、ここに住む者はまだ誰もいない。夜は黒。灯りは、信号と国道6号線を走り抜ける車のライト、そして放射線量を刻む液晶画面。疫病が蔓延する世界で人影が消えた街を歩くと、帰還困難区域の風景と重なって見える。(説明:稲宮康人)
稲宮さんの推薦図書など、Twitterにて日々情報を更新しております。👉 *
2021年3月10日(水)〜4月25日(日)
12:00〜20:00/月火定休(祝日の場合も定休)
土地は非常に強く、自分が立っている大地を疑うことは難しい。陸前高田、自分の足下にある大地は、震災後に数メートル嵩上げされたものだ。新しい大地の上で営まれる生活が長くなっていけば、かつての土地の記憶は、。と、書いていた2021年2月13日23時8分、福島、宮城を中心とした震度6強の地震があった。これも2011年の余震だという。緊急地震速報の“あの音”は、当時の不安に満ちた記憶を呼び起こす。この10年間、海外神社跡地の撮影(『「神国」の残影』として2019年に出版)と並行して、災害後の東北の土地を撮り続けてきた。
撮り始めは、ちょっとした好奇心で、液状化がひどかった浦安に行ったことだった。次に、津波のあった千葉県の旭市に行った。震災後、勿来の関を始めて超えたのは3月の末、福島のいわき市に行った時だった。かなりの市民が逃げ去り、人の気配が消えた街を走っている間、車のラジオから海岸に打ち上げられたのであろう死者の服装や特徴を淡々と読みあげる声が流れていた。そして、次の東北行で仙台の荒浜に行き、津波に一掃され、あらゆるものが破壊された風景を見て、それに囚われたのだった。他の地域はどうなったのか、できることならば、この破壊の全容を写真におさめねばならないという奇妙な熱情を持つに至った。あの当時、圧倒的な災害に応ずる躁的な社会状況が東日本全体にあったように思うが、私もコロッとそれに罹患したのであった。
こうして、週末限定の東北通いが始まった。なるべく多くの被災地の姿をおさめようとしたが、海岸沿いを行けどもいけども瓦礫、かつての生活の跡、街の内臓をひっくり返して全てぶちまけたかのような瓦礫の海があった。海からすぐに山が立ち上がる地形の三陸では、海に降りてゆくと瓦礫の海が、海から離れると震災以前の風景が現れる、沿岸数百kmにわたってその繰り返しだった。この10年、風景は日々変わり続けた。瓦礫が片付き、かつての街が一面の草っ原に変わった後、束の間の安定があったが、すぐに防潮堤と嵩上げの大工事が始まり、高台を削った土砂は平野部に移され、新しい大地となった。しかし、これは宮城県と岩手県のことであって、福島県はまた違う道をたどった。まず原子力発電所を中心にした20キロ圏が警戒区域に指定され、立ち入りが禁止された。その後、放射線量によって帰還困難区域、居住制限区域、計画的避難区域、避難指示解除準備区域と線引きがなされた。そして、2020年!の東京オリンピックに間に合わせた常磐線全線復旧に合わせ、帰還困難区域内の一部が居住再開を目指す特定復興再生拠点区域に指定され、避難指示を解除された。放射線量に翻弄され、そもそも立ち入りすらできない地域があり、地震、津波からの復興に加えて、除染や廃炉という巨大事業をやらねばならぬという点で、宮城県、岩手県とは異ならざるを得ないものであった。
福島に新しく立ち入り解除になった区域があると知れば撮影にでかけ、岩手の嵩上げ工事に巨大なベルコンベアが建造されたと聞いてはまたでかけ、宮城のあそこはどう変わったのかと思いつけばまたまた走り、青森にも行かねばと思いつつも、中々行けず、更には、戦前社会(海外神社)と高度成長期(高速道路)をつなぐ戦後開拓を撮るのはどうだと妄想の翼を広げたりしながら、細々とではあるが、急速に変わってゆく風景をひろい集めてきた。
今まで撮影した場所の地図を眺めてみると、空白のエリアとして帰還困難区域が浮かび上がってきた。都内で車を借り、福島を撮影した帰り、つい先ほどまで自分がいた漆黒の帰還困難区域を頭の片隅に置きながら常磐道をひた走り、首都高で東京の明るさの渦に飛びこんで、いたたまれない気持ちになったことは一度や二度ではなかった。高速で4時間ほどの距離に、放射能に汚染された結果、人が住むことができなくなった土地があるということは、いかなることなのか。私の写真には人が写っていないのだが、人の場所、人がつくる風景を撮ったものである。写真を通して、こうした場所に住んでいる人のことを、故郷を離れざるをえなくなった人を、故郷と現在地で引き裂かれて続けている人のことなどに、思いをいたしてもらえれば、幸いである。(稲宮康人)
— 稲宮 康人 (いなみや やすと) プロフィール —
略歴
1975年生
1997年 中央大学文学部史学科国史学専攻卒業
2002年 日本写真芸術専門学校2部報道芸術科卒業
個展
2007年「くに」のかたち HIGHWAY LANDSCAPES OF JAPAN , 新宿・大阪ニコンサロン
2007~08年 三木淳賞受賞展 , 新宿・大阪ニコンサロン
2012年 帝国後 海外神社跡地の景観変容, 神奈川大学セレストホール
2014年 あたらしい世界‐対話の記録‐, コニカミノルタプラザ
2019年 「帝国日本」の残影 ‐海外神社写真展‐ 横浜市民ギャラリー、古書ほうろう
(アサヒグループ芸術文化財団、花王芸術・科学財団助成)
グループ展
2010年 SEOUL PHOTO 2010
2010年 Noorderlicht Photo Festival 「LAND – country life in the urban age」
2014年 海外神社とは?史料と写真が語るもの サブウェイギャラリーM
著書
『帝国後 海外神社跡地の景観変容』神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2012.
『「大東亜共栄圏」の輪郭をめぐる旅 海外神社を撮る』編集グループSURE, 2015.
『「神国」の残影 海外神社跡地写真記録』国書刊行会, 2019.
雑誌等
『世界』、『サンデー毎日』、『週刊金曜日』、『GRAFICATION』、『サイゾー』、『毎日新聞』、『神奈川新聞』等
賞など
第9回三木淳賞
PHOTOESPANA Descubrimentos 2013.
アサヒグループ芸術文化財団、花王芸術・科学財団助成 2019.
稲宮さんにお薦めの本を教えていただきました。
タイトルのリンク先からコメントをお読みいただけます。
・『海を撃つ』安東量子 著/みすず書房/2,700円+税
★店頭にてお取り扱い中です。
また、安東量子さんが理事を務めていらっしゃる福島ダイアログの対話の記録
「取っ手のないスーツケース」をお分けいただきました。無料で配布しております。
・『東日本大震災の記録と津波の災害史図録』気仙沼市・リアス・アーク美術館
入荷しました。1,200円(税込1,000円+送料200円実費)でお分けいたします。
・『心的外傷と回復』【増補版】ジュディス・L・ハーマン著/みすず書房
・『希望を握りしめてー阪神淡路大震災から25年を語りあうー』 牧秀一 編/能美舎
・『時刻表2万キロ』 宮脇俊三著
・『洟をたらした神』 吉野せい著/中公文庫
〜〜〜以下のタイトルも順次、詳細、コメントリンクをお付けします。〜〜〜
・寺島英弥さんの一連の震災報道本
『被災地のジャーナリズム 東日本大震災10年「寄り添う」の意味を求めて』
『避難指示解除後を生きる 福島第1原発事故7年 古里なお遠く、心いまだ癒えず』
『何も終わらない福島の5年 東日本大震災 飯舘・南相馬から』
『風評の厚き壁を前に 東日本大震災4年目の記録 降り積もる難題と被災地の知られざる苦闘』
『海よ里よ、いつの日に還る 東日本大震災3年目の記録』
『東日本大震災希望の種をまく人びと』
・『苦海浄土』(全3部作)
・『みな、やっとの思いで坂をのぼる』
・『原発と大津波 警告を葬った人々』
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