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新田樹写真展 Sakhalin 2010〜2018
2023/03/01 - 2023/04/02
会期 2023.3.1(水)〜 4.2(日) 月火定休
時間 12:00〜20:00
3.31(金)は、トークベント会場設営のため、15時閉店となります。
展示もご覧頂けなくなりますのでお気をつけください。
会場 古書ほうろう アクセス
急遽開催決定
黒川創 × 新田樹 対談「サハリンを撮る/描く」 3月31日(金)19時開演
満席となりましたので、受付を終了いたしました。
日本統治時代に樺太とよばれたこの地には、1945年8月の日本敗戦時約35万人の日本人と2万~4万3千人の(諸説あるが正確な人数は把握されていない)朝鮮人が取り残されていた。戦後ソ連領となったこの地から日本人の多くは引き揚げたが、朝鮮人たちとその配偶者である日本人は、その後数十年にわたりこの地を離れる事はかなわなかった。(サハリン残留韓国・朝鮮人、以後カレイスキーと表記)
1996年3月。私は、未だ混乱の続くロシアを写真家として最初の仕事にしたいと思い旅していた。その途上での出会いがサハリンとの始まりだった。
青く凍えた街の辻にろうそくが灯っている。木でこしらえた枠にはビニールが張られ、そのなかで生花がろうそくの炎に照らされ息をしていた。傍らには凍えた顔のおばあさんが座っている。
当時、ユジノサハリンスクのバザール(市場)や街で花を売るカレイスキーのおばあさんたちの姿があった。私が日本から来たとわかると、厳しい生活の様子を日本の言葉で話してくれた。路上での短いやりとりを交わしただけでも、彼女たちの背景に日本が大きく関わったことが色濃く感じられて、私は漠然としながらも鋭利な後ろめたさを感じずにはいられなかった。だからだろうか、彼女たちの心に触れる事ができればと願った。
私は街をうろつき、彼女たちの前に立つのだが、気持ちがこわばってしまい言葉が出てこなかった。なぜ彼女たちはこの地に残らざるをえなかったのか。それを知る事なしでは、彼女たちと正面から向き合う自信が持てなかった。あの時、私は一歩も踏み込めずにサハリンを後にした。それだけに今でも忘れられない出来事を思い出す。
街を歩いている時のことだった。思いがけず日本の言葉がきこえてきた。私の前を歩く二人のおばあさんが話しているようだった。
「日本の方ですか?」それまでの旅の心細さに、私は思わず声をかけた。
「いいえ、私たちは戦争の前にここへ来た朝鮮人です」
戦後から50年、この地で日本の言葉が日常的に使われている事に驚いた。それは単に話せる事とは違う何か、その後何度も繰り返される問いの始まりとなった。
歴史が記憶の堆積物ならば、降り積もり埋もれてしまう。単純に割り切ることのできない思いを抱え生きる姿に今なら向き合えるのではないかと動き出したのは、それから14年後の2010年の事だった。
(新田樹/写真家)
新田 樹 (にった たつる)
1967年 福島県出身
東京工芸大学工学部卒業後、麻布スタジオを経て半沢克夫氏に師事
1996年 独立
個展
2003年 「SURUMA」(コニカプラザ)
2007年 「樹木の相貌」(コニカミノルタプラザ)
2015年 「サハリン」(ニコンサロン)
2018年 「RUSSIA~CAUCASUS 1996-2006」(zakura)
2022年 「続サハリン」(ニコンサロン)
出版
2022年 「Sakhalin」(ミーシャズプレス)
サハリン島との出会いは小学生の夏休み、羽咋の父の生家の納戸で見つけた地図帳でした。朝鮮、台湾、千島列島とともに、樺太の南半分が赤く塗られた日本地図。いかにしてそうなったかなど思いが及ぶはずもなく、「日本ってこんなに広かったんだよ!」と、得意げに伯父や従姉に報告したことを憶えています。
それから間もなく『時刻表復刻版』を手に入れ、戦前の日本を机上旅行するようになると、樺太はより身近な土地となります。まずは稚泊連絡船で大泊まで。さらに鉄道で豊原へ、留多加へ、内淵へ、上敷香へ。後に新田さんも訪れることになる町や村を、その地名のエキゾチックな響きに魅惑されながら辿りました。
実際に初めてその島影を見たのは大学入学前の春休み、宗谷岬にて。さすがにその頃には、そこがどのように日本の領土となり、そうでなくなったかについて知っていました。ただそれは上っ面だけのことでもあって。どういう人たちがどのように暮らしていたのかを具体的に知ったのは、さらにくだって古本屋になってからのことです。
この仕事では、毎日お客さんが売りにみえる本と唐突に出会うのですが、表紙に上野から豊原までの時刻表が印刷された一冊、譲原昌子『朔北の闘い』もそうでした。「故郷に見切りをつけた人々が、ぼろい一攫千金を夢みては、海霧の深い宗谷海峡を魚族のように渡ってくる頃であった」と始まるこの小説は、フユという名の少女とその一家が、想像を絶する厳しい気候のなか、先の見えない過酷な生活を送る様子が余すところなく描かれていて、自分にとってのターニングポイントとなりました。
新田樹さんの写真集『Sakhalin』は、そんなふうに樺太へやってきた日本人の多くが本土へ引き揚げた後も、かの地に留まることを強いられた朝鮮人とその配偶者の日本人女性たちの物語です。ファインダーが捉えているのはあくまで晩年の彼女たちの姿ですが、そこには新田さんが寄り添い共に過ごした時間と会話が沁み込んでいて、写っている彼女たち自身がその人生を自ら語っているように感じられます。小学生の自分が樺太と出会い、ぼんやり憧れを抱いてきたほぼ半世紀の間、彼女たちがそこで生き抜いてきたことに、そしてそこでの生活には日本語があったことに、大変衝撃を受け、言い知れぬ感慨を覚えました。ぜひたくさんの方にご覧いただきたいです。
(宮地健太郎/古書ほうろう)