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『キネマ旬報』の宮崎祐治さんの連載「映画は顔だ!」について

『キネマ旬報』2024年8月号(No.1946)の宮崎祐治さんの連載「映画は顔だ!」にて、当店をご紹介いただきました。そのイラストレーターとしてのお仕事にずっと敬愛の念を抱いてきたので(もっとも感激したのは15年前の『東京人』、大瀧詠一と川本三郎の対談に添えられた、成瀬巳喜男の銀座の地図でした)、お声がけいただいたときは本当にうれしく、取材を受けた後は「どんな絵を描いてくださるのだろう!」と、7月20日の発売日を楽しみにしていました。

ところが。7月18日に掲載誌を受け取り確認したところ、ゲラの段階でお願いした修正の大部分が、反映されないまま活字になっていました。とくに、店の成り立ちが正しく伝わらなかったこと、並びに、自分の意図しない発言が自分のものとしてカギ括弧に入れられてしまったことに、大変ショックを受けました。店をやっていくうえで大切にしてきたことが、逆のかたちで伝わってしまいかねない発言になっていました。あの独特のタッチで描いてもらった喜びも、一瞬で吹っ飛びました。

なぜこういうことが起きたのか、ともかく原因を確認しなければと、すぐに宮崎さんに連絡し、夜になって電話でお話しました。その結果、事務処理上のミスではなく、修正の依頼を、宮崎さんが意図的に黙殺したことがわかりました。
「ゲラは確認してもらいますが、固有名詞の間違い以外は、修正依頼を反映させるかどうかこちらで決めます。反映させたかどうかの連絡もしません。これまでもずっとそうしてきました。」とのことでした。

でも、取材にみえた際、宮崎さんはこうも仰っていたのです。
「録音はしません。そうすることで安心して、大切なことを聞き逃したり、感じ取れなかったりすることがあるので。記事はメモと記憶を頼りに書きます。その代わりゲラは必ず取材相手に確認してもらい、間違いは直してもらうことにしています。」
なので当然、修正依頼は受けていただけると考えていました。まさか「反映しないことを連絡もしない」などとは思ってもいませんでした。

以下、宮崎さんから届いたゲラと、それに対する修正依頼のメールを公開します。今回の経緯を公表すること、並びに、発売中の雑誌のテキストをアップすることについては、宮崎さんと『キネマ旬報』編集部の了解を得ています。編集部にはこちらから直接ご連絡するつもりでしたが、宮崎さんの意向で、宮崎さん経由で了解を得ました。その際、編集部から「次号に訂正を載せる」という提案があったそうで、そうしていただくことにもなりました。ただ、店頭に並んでいる1か月間、誤解される可能性に悶々とするのはあまりにつらいので、この文章も予定通り7月20日付けで公表します(そのことも了解を得ています)。

 

【6月20日 宮崎さんからのメール】

キネマ旬報 ゲラ お世話になります。来週、頭に修正あれば戻してください

映画は顔だ!連載13
17字×26行=442字

+タイトル1行

・は行替え

➀古書ほうろう

・上野の不忍通り、道一本を入った静かな東大池之端門前にある。映画本が並ぶ「古書ほうろう」の店名は小坂忠の1975年のアルバム「ほうろう」からとっている。宮地健太郎さんと美香子さんご夫婦は千駄木で1998年古本屋を開店、2019年5月からこの地に移転したそうだ。

・『ヒッチコックマガジン』のバックナンバー、小沢昭一写真集、洋書のジャック・リベット研究書など興味深い映画本が並ぶ。「千駄木の頃からの顔見知りのお客さまが来てくれる。「波長の合う顔見知りのお客さんはありがたい。古本屋は人と人を橋渡しする中継地点になれる。幸せな仕事だなあと思います」と宮地さんは話されていた。

・川本三郎さんの『シネマ裏通り』や小林信彦さんのエッセイの映画世界に憧れたそうだ。好きな映画を聞くとジャック・ドゥニ監督の「ローラ」(60)、ジョニー・トー監督の「スリ」(08)ときた。でも女優は桑野通子、高峰秀子というので私はすこし安心した。

・奥さんが焙煎されている「窓辺喫茶」のコーヒーは最高。是非お試しを。

 

【6月20日 ほうろうからの返信】

先日はありがとうございました。
原稿、確認いたしました。
限られたスペースのなか、丁寧にご紹介くださり、とてもうれしいです。

若干修正が出ます(ケアレスミスと、ニュアンスがやや違う箇所が、それぞれあります)。
来週頭までに、なるべく早く戻します。いましばらくお待ちください。

 

【6月20日 宮崎さんからお電話】

「戻しは来週頭で結構です。絵を描きはじめたのですが、ミカコさんの漢字を、ちゃんと伺っていなかったことに気づきました。教えてください」

 

【6月23日 ほうろうからの返信】

お時間いただいてしまい、申し訳ありません。
以下修正したものを送ります。

固有名詞の間違いは、以下2点です。

× 美香子
○ 美華子

× ジャック・ドゥニ
○ ジャック・ドゥミ

それ以外にも、微妙なニュアンスを直したり、
どうしても付け加えたいことを足したりしたうえで、
各段落、字数が変わらないよう調整しました。

上段が宮崎さんの元の文章、下段が修正したものです。

ーーーーーー

上野の不忍通り、道一本を入った静かな東大池之端門前にある。映画本が並ぶ「古書ほうろう」の店名は小坂忠の1975年のアルバム「ほうろう」からとっている。宮地健太郎さんと美香子さんご夫婦は千駄木で1998年古本屋を開店、2019年5月からこの地に移転したそうだ。

上野の不忍通り、道一本を入った静かな東大池之端門前にある。「古書ほうろう」の店名は小坂忠の1975年の曲「ほうろう」から。宮地健太郎さんと美華子さんご夫婦は1998年、千駄木で仲間たちと古本屋を開店、その後二人になり、2019年5月この地に移転したそうだ。

 

『ヒッチコックマガジン』のバックナンバー、小沢昭一写真集、洋書のジャック・リベット研究書など興味深い映画本が並ぶ。「千駄木の頃からの顔見知りのお客さまが来てくれる。「波長の合う顔見知りのお客さんはありがたい。古本屋は人と人を橋渡しする中継地点になれる。幸せな仕事だなあと思います」と宮地さんは話されていた。

『ヒッチコックマガジン』のバックナンバー、小沢昭一写真集、洋書のジャック・リベット研究書など興味深い映画本が並ぶ。「移転後5年が経ち、ご近所の方や、東大の先生、学生さんたちなど新たな関係も広がってきました。古本屋は人と人を橋渡しする中継地点になれる。幸せな仕事だなあと思います」と健太郎さんは話されていた。

 

川本三郎さんの『シネマ裏通り』や小林信彦さんのエッセイの映画世界に憧れたそうだ。好きな映画を聞くとジャック・ドゥニ監督の「ローラ」(60)、ジョニー・トー監督の「スリ」(08)ときた。でも女優は桑野通子、高峰秀子というので私はすこし安心した。

川本三郎さんの『シネマ裏通り』に憧れ、小林信彦さんのコラムを読み耽ったそうだ。好きな映画を聞くとジャック・ドゥミ監督の「ローラ」(60)、ジョニー・トー監督の「スリ」(08)ときた。でも女優は桑野通子、高峰秀子というので私はすこし安心した。

 

奥さんが焙煎されている「窓辺喫茶」のコーヒーは最高。是非お試しを。

美華子さんが焙煎されている「窓辺喫茶」の珈琲は最高。是非お試しを。

 

最初の段落と2番目の段落への修正依頼が(固有名詞以外)すべて却下されました。その理由を宮崎さんに訊ねると「読者が面白いと感じる方を採った。それを判断するのは書き手である自分だ」とのことでした。「どうしても付け加えたいことを足したとメールでお伝えしたのですが、それは考慮されないのですか?」とも訊きましたが、「宮地さんの付け足したい気持ちよりも、読者が面白いと感じるかどうかを優先した。そんなに重要なことだとはわからなかった」と。「地の文ならまだしも、カギ括弧の中はぼくの発言だと読み手は判断します。そのぼくが修正をお願いしているのに、宮崎さんの判断が優先されるのですか?」に対しては「でも、こちらのメモにはちゃんとそう書いてある」。ここから先は堂々巡りで…。最終的には謝罪いただきましたが、ちょっと信じられない思いでした。(なお、3番目と4番目の段落は修正が反映されました。但し3番目の段落の「小林信彦さんの」は、意図的ではないミスで落ちました。この件については最初に謝罪もあり、今回問題にはしていません。)

元の文章と修正依頼したものを読み比べて「そんなに目くじら立てること?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。でもこの店は、そんな人によっては些細に感じるかもしれないものの積み重ねでできているのです。これまで続けてきたなかでさまざまな方と出会い、そうした出会いの一つ一つがあって、いまこの店はあります。千駄木の頃はもちろん、池之端に移転してからもたくさんの新たな出会いがあり、それによって自分たちは励まされ、突き動かされ、思いもかけないところに連れて行ってもらっています。宮崎さんのメモに「波長の合う顔見知りのお客さまはありがたい」とあるのなら、きっとそういう発言はあったのでしょう。でもそれは買い取りについての話だったはずです。長年、お客さんからの買い取りだけで棚をつくってきたこと。そんななか、自分たちのことをわかって本を売りにきてくださる方々にとても助けられたこと。そういう文脈のなかでのことです。でも、2番目の段落のようにそこだけ切り取り強調されてしまうと、全然違う意味を帯びてしまいます。できあがった関係のなかに閉じこもっているように受け取られてしまうのは、たとえ僅かな可能性だとしても、とても耐えられません。

あらためてメールを読み返すと、「微妙なニュアンスの直し」などと遠回しに言わず、「ここだけ抜き取ると、意図と正反対の発言になってしまう」とはっきりお伝えすべきだったとわかります。「修正は反映されますよね」と念押ししておけば、という後悔もあります。でもやっぱり遠慮がありました。そうしていれば、こんな文章、書かずに済んだのかもしれません。ここまで書いた今も、公開することへの迷いはあります。

自分は古本屋なので、100年前のキネ旬が現在も読まれていることを、事実として知っています。それは同時に、今回のキネ旬が100年後に読まれることもある、ということでもあります。紙媒体を巡る状況はどんどん変わっていますし、そんなことは夢物語なのかもしれません。でも自分はそう思ってこの仕事をしています。活字になるとはそういうことです。