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大阪と松阪の旅「3日目」松阪 みいと織工場見学

谷根千工房のやまさきさんから、どこか行きたいところがあったらリクエストください、とメールをいただきいろいろ調べているうちに、松阪木綿の工場「御絲織物株式会社(みいとおりもの)」さんのサイトに辿り着きました。

https://miitoori.com

木造の建屋にコンピューター制御ではない昔ながらの織機が並ぶ写真に魅せられ、やまさきさんにリクエストしたところ、さっそく連絡を取ってくださったのですが、あいにく希望した週は見学不可とのこと。もう一つリクエストしていた松浦武四郎記念館もその週は展示替えで見学不可なことが判り、急遽休みの予定を一週間前倒しして、無事見学の予約をとることができました。

当日は、やまさきさんのお友だちHさんと、地域誌『NAGI』の発行元で『谷根千の編集後記』も発行した月兎舎の吉川和之さんも工場は初めてとのことで同行してくださることになりました。

吉川さんとは現地で待ち合わせ。9時半のお約束で工場に到着すると、事務所のサッシの上には藍染の笑門飾りがありました。お客様が作ってくださったそうです。

西口裕也社長にご挨拶して、さっそく工場へご案内いただきます。
長く使ってこられていると感じる通路を抜けると、天井の大きな窓から光がさす明るい空間に。見上げるとのこぎり屋根を支える木造のトラスがありました。やっぱりのこぎり屋根の工場でした!その下で使い込まれた機械たちが規則正しく仕事をしている光景に、一同から、おおお!と感嘆の声が漏れます。

御絲織物さんは明治7年(1847年)に紺屋さんとして創業、100年後の昭和22年(1947年)に織物工場を建てられたそうです。

   

空間の一番手前には緯糸用の木製ボビンに糸をまく機械、その奥は経糸を縞柄の通りに巻き取る機械。糸のグラデーションにうっとり。
そしてずらりと並ぶ織機たちが、ガシャッガシャッと無心に織り続けています。

   

 

見上げると、無限ループ状にセットされた長く幅のあるベルトがまた他のベルトを動かしていて、片方は部屋の隅から伸びる何メートルもあるようなベルトにつながっていて、どうやらそこが動力源とわかりました。昔のミシンは足踏みも電動もベルトが見えていましたが、それの巨大な親分のようです。もう一度天井に目を向けると、動力側ではない方は、さらに個々の機械に繋がっているのがわかります。お訊ねしたところ、動力源は3箇所にあるそうで、それらが連動しながら、ずらりと並ぶ機械を一斉に動かしているのです。機械のパーツはすべてが金属でなく、木の部分があるせいか、規則的な音には柔らかさがあって、なんだか巨大な生き物の心臓が脈打つ体のなかに入ったような、でも人がいなくてもシャッシャッと真面目に機械自身が緯糸のシャトルを通している様は現代美術のようでもあり、なんとも言えない迫力がありました。

人がいなくても、とか書きましたが、実際は工場の方たちが巡回し、緯糸が終わって止まった機械のシャトルを交換したり、織り目を確認したりなさって反物が織られていきます。織られていたのは、縞柄も格子柄もあり機械ごとにすべて違う柄だったと思います。格子柄を織る機械には、金属製のパンチカードのようなパーツも機械の横で動いており、これが緯糸の配色の制御しているのだそうです。これはすごい発明です、と社長が仰っていました。

  

しばし思い思いに写真を撮らせていただいたり、質問したりして過ごさせていただき、なんとなく後ろ髪を引かれるような気持ちで外に出ました。三方を建物に囲まれた芝生の広場があり、晴れた日にはそこに染めた糸を干すのだそうです。この日は降ったり止んだりのあいにくの天候で、糸は屋根の下に避難中でした。干し場の先には藍染めの建屋がありました。作業はお休みの日でしたが、ちらりと覗かせてくださいました。

あとで教えていただいたのですが、機械織りの松阪木綿は、現在みいとさんが一手に引き受けていらっしゃるとのことです。

車に乗る前に、道路側にまわってのこぎり屋根の外観を撮影。みなで記念撮影もしました。

 

 

 

翌日に行った松阪市歴史民俗資料館で見た松阪木綿の説明によると、大陸から渡来した機織りの技術集団が櫛田川下流の右岸地域に定住し、その後、伊勢神宮の神御衣祭に神麻続機殿神社が麻布を、神服織機殿神社が絹布を奉織していたこともあり古くから紡織の技術があったこと、温暖で肥沃な土地があり肥料となる干鰯に獲れたことから木棉栽培が盛んになったこと、また南部の法田村に高度な染め技術を持った紺屋集団が存在したことなどから、木綿織物の商品化が進み、木綿を取り扱う商人が競って江戸に進出、その品質の良さと、松阪縞(嶋)と呼ばれた縞柄が粋好みの江戸の人々の心を掴み大流行したのだそうです。なるほど〜

松阪商人の大店の御屋敷では、お伊勢参りの人たちにおにぎりを振る舞い、休憩処を提供することで各地の情報を得て、それをまた商売のヒントにしたりもしたのだそうです。

松阪もめん手織りセンターにも寄り、悩みに悩んで格子柄の生地を購入しました。

 

大阪と松阪の旅「3日目」 松阪編

◾️◾️◾️ 11月20日(水)◾️◾️◾️

この日の移動は、山﨑さんの松阪のお友だちHさんとともにお車で。

山﨑さん宅

📍機殿神社 神麻続機殿神

📍御絲織物(吉川さんと合流)

📍機殿神社 神服織機殿神社

伊勢河崎
📍牡蠣の朋
📍和具屋商店
📍伊勢河崎商人蔵
📍伊勢河崎商人館(ここでHさん、吉川さんとお別れ)
📍古本屋 ぽらん
📍錦水湯

宇治山田
↓(近鉄)
松阪

📍ひさご 若鶏むし焼き

山﨑さん宅

◾️◾️◾️

機殿神社 神麻続機殿神社

松阪2日目は、松阪にお住まいのHさんが車を出してくださり、機殿神社 神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)経由で今回の松阪行きで第一希望だったみいと織物工場の見学へ。
神麻続機殿神社は、伊勢神宮へ「荒妙」(麻・あらたえ)を奉織するための神社だそう。田園風景のなかにこんもりとした杜が現れてきて、車を降りて歩いて杜へ近づきます。赤く塗装してない白木の鳥居をくぐると、外部と空気感が一変し、掃き清められた参道の両脇に御神木が聳えていました。お社の周りの砂利は、砂利と呼ぶには大きく拳大ほど。神事の際にはひとつひとつ洗い清めるのだそうです。

ふたたび車に乗り、御絲織物さんの工場へ。見学記はこちらに。→

御絲織物さんのあとは、工場から一緒になった吉川さんの車と2台で、機殿神社 神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)へ。こちらは「和妙」(絹・にぎたえ)を奉織する神社だそうです。神麻続機殿神社とあわせて、のちに栄える松阪織物のルーツとなる存在。午前中だけで麻、綿、絹にまつわる箇所をめぐることができました。

神服織機殿神社では屋根の棟で交差している千木(ちぎ)と屋根の上に横に並ぶ鰹木(かつおぎ)について吉川さんがレクチャーくださいました。千木の端が外削ぎと内削ぎ(地面に対し垂直か水平か)で、記憶が曖昧になってきてますが、男神か女神かを示していると、仰ってしたような。。鰹木は、ほんとうに脂ののった鰹のように中央が膨らんだ形状でした。

ここから伊勢河崎を目指します。途中、Hさんのご配慮でへんば餅のへんばや本店へ。へんばとは、お伊勢参りの人がここで馬を返す場所のことを言うのだそうです。ここまでの旅の疲れとあともう少しでお伊勢さんという、ほっとひと息いれるような、わくわく最高潮のような地点です。お店ではお茶付きでいただけますが、お昼ごはんを控えているので、ひとりひとつ買って、駐車場でぱくぱく。すごく美味しいかった。

伊勢河崎に到着。牡蠣の朋さんでみなでカキフライ定食。古い建物を車椅子でも入れることをきっと配慮されてリノベーションなさっている。トイレも広々とした多機能トイレでした。すばらしいなぁ。
牡蠣は暖かくてまだまだ大きいのが入らないと仰っていました。軽やかな味でいくつでもいけそう。吉川さんも橋本さんも、旧安田楠雄邸での『谷根千の編集後記』刊行記念トークの際にご来店くださったので、再会してご一緒できてとてもうれしい。
外に出ると吉川さんが屋根を見上げて、隅っこに載っている「隅蓋」を教えてくださる。瓦と瓦の継ぎ目を覆う役割も果たしているらしい屋根飾り。桃がのっていてかわいい。家によっていろいろモチーフがあるらしい。

あとは松阪を歩いていると玄関やお店の入口の注連縄飾りをよく目にしていて、秋なのに?と思っていたが、伊勢河崎にも飾られていて、大晦日に新しいものに替え一年中飾るのが慣わしなのだそう。「笑門」のほか、「蘇民将来子孫家門」というのがあって、昔旅の途中の神様を泊めた兄「蘇民将来」には福がおとずれ、断った弟には禍が続いたとの言い伝えから、お守りとしてこの家は「蘇民」の家ですよ、という示しているのだそう。

いよいよ『NAGI』(特集:マニアックな三重旅)の表紙を飾っていた、店内にトロッコの線路が残るという和具屋さんへ。伊勢まちかど博物館でもあるので入場料300円をお支払いして中へ。手前はお茶碗や酒器などを売る現役の陶器屋さんなのだけれど、奥へ奥へお店は繋がっていて、通路にはトロッコの線路跡が残っている。往時は勢田川が貨物運搬に使われていて、陸上げされた荷物を、トロッコに乗せて店内に運び入れていた名残りだそう。奥の空間は、生き字引のような当代のコレクション、お父様、お祖父様もだったかな代々のコレクション、すごろく、着せ替え、古銭、歌謡曲のレコードなどのほか、当時は売り物だった新品の大きな火鉢などが、おおらかに仕分けられて積まれていました。2階に上がると、着物なども掛けられていて、ちょっと水族館劇場ぽいよね、と山﨑さんと。
重いものは買えないので、小さなおちょこをふたつ購入。

伊勢河崎商人蔵では、黒く塗装された外壁は、(いまは違うが)昔は「ぬれがらす」という風雨に耐えるよう煤と魚の油でつくられた塗料が使われていたことを教えていただく。中に入ると柱の仕切りごとに小さなお店が入っていてたのしい。帽子を買ってしまった!

このあとHさん、吉川さんと別れ、山﨑さんとわたしたちは古本屋 ぽらんさんへ。じっくりじっくり店内を巡り滞在する。最後に山﨑さんが買い足した『伊勢人』(特集:竹内浩三が見たNIPPON)から、ぽらんのご主人・奥村薫さんの竹内浩三愛が迸る展開に。奥村さんは宇治山田市(現・伊勢市)出身の竹内浩三をずっと研究して来られたそうで、『伊勢人』の誤り箇所からはじまり、浩三の旧友とのやんちゃ時代、詩「骨のうたう」のこと、遺品の収蔵先についてなどなどいろいろ教えてくださり、戦死の哀しみをうたう詩人とはまた違うユニークな人物像が膨らみました。

そのあとは、道中で見つけた中谷武司協会に寄り伊勢和紅茶を購入(これがとても美味しかった)、銭湯・錦水湯に寄りすごく温まって、宇治山田駅から近鉄に乗って松阪まで。途中、山﨑さん行きつけのひさごさんに寄って3人で晩ごはん。カウンターの大皿から選んだり、メニューから選んだり。どれも美味しくて幸せ。看板メニュー若どりのむし焼きはするりと骨がはずれてスープともども大蒜風味でエネルギーチャージ。

山﨑さんの家に帰ってあれこれおしゃべりしながらもうひと晩酌。山﨑さんが、中里和人さんと連絡をとってくださってなんと明日の夕方sana villageに行けることに!

大阪と松阪の旅 「2日目」大阪→松阪

大阪から松阪に移動する日。

◾️◾️◾️ 11月19日(火)◾️◾️◾️

天王寺
↓(大阪メトロ御堂筋線)
なんば *コインロッカー

なんば
↓(大阪メトロ千日前線)
日本橋
↓(大阪メトロ堺筋線)
北浜

📍東洋陶磁美術館

レトロビル探索

📍中之島美術館

肥後橋
↓(大阪メトロ四つ橋線)
なんば/大阪難波 *コインロッカー
↓(近鉄特急)
松阪

📍小濱書店

◾️◾️◾️

2日目は、北浜あたりの近代建築めぐりをしながら大阪市立東洋陶磁美術館と中之島美術館へ。

スライドショーには JavaScript が必要です。

大阪市立東洋陶磁美術館では、
特別展「中国陶磁・至宝の競艶―上海博物館×大阪市立東洋陶磁美術館」
https://moco.or.jp/exhibition/current/?e=607
「至宝」とか「競艶」という謳い文句に好奇心が減退してしまう捻くれ者なので宮地さんの希望がなければきっと行かなかった展示。
華美なものばかりでなく、素朴な筆致の絵付け、可愛らしい絵付けもあり心躍りました。

 

中之島美術館では、塩田千春「つながる私」
https://nakka-art.jp/exhibition-post/chiharu-shiota-2024/
塩田千春さんは初めてだったのですが、こんなにも自らの身体を使って、といより体を張って表現される方だとは知らなくてびっくり。現実はたいてい想像を超えています。塩田さんの赤は、血であり、生であり死なのだな。「繋がり」「繋がる」ということに費やされる止めどないエネルギーに圧倒されました。

北浜あたりの近代建築めぐりも、コジマユイさんの画集ZINE『絵で見る大大阪の近代建築の魅力』Ⅰ、Ⅱやコジマさんも寄稿なさっている雑誌『SAVVY』の北浜特集をガイドに歩きました。北浜レトロ、大阪市中央公会堂、船場ビルディング、日本基督教団浪花教会、大阪倶楽部、山内ビル、大阪ガスビルなどなど。渋川ビルでは地下の「Mole & Hosoi Coffees」でランチを。

テナントの入るビルは、過剰に悪目立ちするようなこともなくお店が入居し通常営業してるようすが好印象でした。それぞれに入居者としての誇りをもち建物を大切にしている空気が伝わってきました。
歩いたのは小さなエリアだけなので、たまたまそうだったのかもしれないですが、近代建築の多さに比べると、その存在感に影が薄くなってしまっているのか、渋ビル年代のビルは少ないような気も。。


くれなずむ大阪をあとにして、松阪へ。
山﨑さんが駅まで迎えにきてくださって、アーケードの商店街へ。さっそく山﨑さんの案内で、駅に近い新刊書店の小濱書店(クトゥルフ、地域関連充実)さんへ。松阪の地図を購入。たのしげオーラを纏われた店主さんから、秋の読書推進月間「BOOK MEETS NEXT 2024」で、三重県書店組合と県立図書館の共同企画の浅尾ハルミンさんがイラストを描かれたしおり4種から、本居宣長さんのしおりをいただきました。

暗闇の中、山﨑さん宅へ到着。準備してくださっていたおいしい晩ごはんに感動。話は尽きませんが、翌日のメインエベントのために夜更かし前に就寝。

大阪と松阪の旅 「初日」大阪

コロナ罹患でこんなにお休みをいただくことになってしまい、思い切って決断したはずの3泊4日の休暇は日数的にはささやかなものになってしまった感がありますが、自分たちにしては過去にないアクティブな日々を過ごしてきましたのであとでおもいだせるように。

谷根千工房のやまさきさんが松阪にお引越ししたときからいつ遊びに行こうかと、タイミングを図っていたのですが、国立民族学博物館で「客家と日本」展が開催されるのを知り、松阪行きに20年ぶりくらいの大阪をくっつけることにしました。

◾️◾️◾️ 11月18日(月)◾️◾️◾️

東京
↓(東海道新幹線)
新大阪
↓(大阪メトロ御堂筋線/北大阪急行)
千里中央
↓(大阪モノレール)
万博記念公園

📍国立民族学博物館

万博記念公園
↓(大阪モノレール)
大日
↓(大阪メトロ谷町線)
中崎町

📍gallery yolcha

中崎町
↓(大阪メトロ谷町線)
天王寺

📍葆光荘 チェックイン

天王寺
↓(大阪メトロ谷町線)
谷町九丁目
↓(大阪メトロ千日前線)
日本橋

📍味園ビル
(帰路同じ)
📍葆光荘泊

◾️◾️◾️

国立民族学博物館は水曜日が定休のため大阪からスタートとなりました。
幼い頃、万博へ行った叔父か叔母が買ってきた3D印刷のポストカードを飽きずに眺めていた記憶がありますが、あれから54年。リアル太陽の塔は、たぶん初めて見ました。民博に行くというのに太陽の塔の存在がすっかり抜け落ちていたので、突然目の前に現れてびっくりしました。大きい!
あぁでも日本人は結局あの50年以上前のキラキラ景気の記憶、いやひょっとすると明治にはじまった博覧会の記憶を代々追い求めているのかもな、と道中やや複雑な心境に。

 

国立民族学博物館は黒川紀章設計。

ともあれ民博に着き「森の洋食 グリルみんぱく」でまず腹ごしらえ。自家製の生パスタがモチモチしていておいしかったうえに腹持ちもよかったです。

まずは「客家と日本」展から。
https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/51493
客家建築に以前から興味があったのと、2020年の台湾旅行で、屏東の客家一族の方たちが作る美濃茶がとても美味しく、お互いに言葉も通じず翻訳アプリもうまく使えないながら、身振り手振りで意思疎通をはかった時間が忘れられなく、また、その旅で台湾南部の客家の方たちが日本軍と激しい戦闘を繰り広げたことを知り、客家に関する展示を見たいと思ったのでした。

客家は漢族の支系に属しますが、少数民族ではないそうです。また世界各地に移民している華僑・華人のなかでも客家はその重要な一派閥をつくり各地各分野で活躍していて、李登輝、蔡英文、侯孝賢、日本では、范文雀、余貴美子(敬称略)が客家なのだそう。なんとあのタイガーバームも客家の方の発明品なのだそうです。思っていたよりもずっと身近に、というか生活圏内にも客家の方たちがいらっしゃるかもしれないですね。

  

大陸から台湾に渡られた客家は、屏東あたりだけでなく、新竹、苗栗、台中、花蓮などにも住んでいるそうなのですが、客家といってもそれぞれに言葉の違いがあるそうです。
日本が統治した際にはほかの地名と同じく客家の村の名前も改名させていて、いま自分たちが呼んでいる屏東、佳冬、美濃なども日本軍の都合で変えさせた地名と知りどんより。
今年5月に出版された、不忍ブックストリート仲間の中村加代子さんが翻訳した朱和之 著『南光』( 春秋社)で描かれた写真家・鄧南光も客家の出ですが、会場には南光によるみかん収穫後の台湾客家一族の集合写真が展示されていました。なかなか取りかかれずにいましたが、旅に携帯していて宮地は旅のあいだに読了。わたしも帰ってきてさっそく読みはじめました。

そしてメイン会場で開催中の「吟遊詩人の世界」展。
https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/51494
会場に入った途端になんともいえない開放感に満たされました。さまざまな言葉、さまざまな楽器による吟遊。資本主義、植民地主義の先のなさを知りながら尚、弱肉強食的な取り返しのつかない犠牲を強いている「先進国」にずっと膿んでいたので、まだまだ地球の大部分を占めるであろう多様さを目の前にして少し希望が湧いてきたのかもしれません。(とはいっても、まぁ大方が資本主義にはとり込まれているのですけれど。)
エチオピア、タール砂漠、ベンガル、ネパール、瞽女さん、モンゴル、マリ。それぞれの小部屋ができていて、音の出る展示なのに影響しあわないで上手に展示されていることにも感心しました。ボリューム的にも見やすかったです。

  

ベンガルの絵語り師集団ポトゥアは、イスラーム教徒でありながらヒンドゥー教の村をまわるためにヒンドゥー神話や社会問題を巻物に描き、歌で語るそう。パンデミック下に描かれたコロナの脅威の絵巻物が展示されていて、ウィルスはとてもリアルに描写されていて、政府でもなく医療機関でもない民間的な情報伝達が新鮮でした。

2階の「研究者のまなざし」のコーナーでは、アボリジニの村で苦心なさった保苅実さんの研究ももしここにあったらどのように展示されていたかなぁなど思いを馳せたり。

時間の許す限り常設展も。ベドウィンの展示を見て、小坂忠さんがうちでライブをしてくださった時に、ベドウィンのテントでコーヒーのもてなしを受けた話をしてくださったことを思い出しました。

 

外を見ると虹が。そういえば朝も家のベランダからだから一瞬だけ虹が見えたのでした。

帰り道、太陽の塔は逢魔が時に本領を発揮すると確信。

 

民博のあとは、たまたま数週間前にタイムラインで知った片桐水面さんの個展「装画」 を開催中のgallery yolchaさんへ。
https://yolcha.jimdofree.com/exhibition/
大きな通りから一歩入ったら、アスファルト舗装が切れて低い建物が続く砂利の路地。まるで夢の世界がはじまるようでした。片桐さんが描く架空の「装画」にお客さんが物語をつけていく、双方参加型の展示でした。自分たちは民博で頭がいっぱいになってしまっていて物語を考える隙間が残っていなかったのでひたすら眺めていただけですが、屋根裏のような小部屋で物語を待つ絵に囲まれながら珈琲。至福でした。

天王寺区に移動し、旅の宿葆光荘へ投宿。近代建築画家・コジマユイさん、藤沢うるうさんのユニットわくわく建築発行の『天王寺区の近代建築』にも載っている建物は、女将さんによるともとは武家屋敷だったそうで、玄関の引き戸に仕掛けがあるなど、建築的たのしみも満たされる宿でした。(朝ごはんは揚げたての天ぷらつき!)
おたのしみ大阪の晩ごはんは、宿から目と鼻の先にあった、すしセンター裏天王寺へ。
近所にあったら入り浸るお店でした。

さらに欲張って味園ビル詣へ。宿の門限ギリギリでお店には入れなかったけれど、最後に見らたことに感謝。