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大阪と松阪の旅 「初日」大阪

コロナ罹患でこんなにお休みをいただくことになってしまい、思い切って決断したはずの3泊4日の休暇は日数的にはささやかなものになってしまった感がありますが、自分たちにしては過去にないアクティブな日々を過ごしてきましたのであとでおもいだせるように。

谷根千工房のやまさきさんが松阪にお引越ししたときからいつ遊びに行こうかと、タイミングを図っていたのですが、国立民族学博物館で「客家と日本」展が開催されるのを知り、松阪行きに20年ぶりくらいの大阪をくっつけることにしました。

◾️◾️◾️ 11月18日(月)◾️◾️◾️

東京
↓(東海道新幹線)
新大阪
↓(大阪メトロ御堂筋線/北大阪急行)
千里中央
↓(大阪モノレール)
万博記念公園

📍国立民族学博物館

万博記念公園
↓(大阪モノレール)
大日
↓(大阪メトロ谷町線)
中崎町

📍gallery yolcha

中崎町
↓(大阪メトロ谷町線)
天王寺

📍葆光荘 チェックイン

天王寺
↓(大阪メトロ谷町線)
谷町九丁目
↓(大阪メトロ千日前線)
日本橋

📍味園ビル
(帰路同じ)
📍葆光荘泊

◾️◾️◾️

国立民族学博物館は水曜日が定休のため大阪からスタートとなりました。
幼い頃、万博へ行った叔父か叔母が買ってきた3D印刷のポストカードを飽きずに眺めていた記憶がありますが、あれから54年。リアル太陽の塔は、たぶん初めて見ました。民博に行くというのに太陽の塔の存在がすっかり抜け落ちていたので、突然目の前に現れてびっくりしました。大きい!
あぁでも日本人は結局あの50年以上前のキラキラ景気の記憶、いやひょっとすると明治にはじまった博覧会の記憶を代々追い求めているのかもな、と道中やや複雑な心境に。

 

国立民族学博物館は黒川紀章設計。

ともあれ民博に着き「森の洋食 グリルみんぱく」でまず腹ごしらえ。自家製の生パスタがモチモチしていておいしかったうえに腹持ちもよかったです。

まずは「客家と日本」展から。
https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/51493
客家建築に以前から興味があったのと、2020年の台湾旅行で、屏東の客家一族の方たちが作る美濃茶がとても美味しく、お互いに言葉も通じず翻訳アプリもうまく使えないながら、身振り手振りで意思疎通をはかった時間が忘れられなく、また、その旅で台湾南部の客家の方たちが日本軍と激しい戦闘を繰り広げたことを知り、客家に関する展示を見たいと思ったのでした。

客家は漢族の支系に属しますが、少数民族ではないそうです。また世界各地に移民している華僑・華人のなかでも客家はその重要な一派閥をつくり各地各分野で活躍していて、李登輝、蔡英文、侯孝賢、日本では、范文雀、余貴美子(敬称略)が客家なのだそう。なんとあのタイガーバームも客家の方の発明品なのだそうです。思っていたよりもずっと身近に、というか生活圏内にも客家の方たちがいらっしゃるかもしれないですね。

  

大陸から台湾に渡られた客家は、屏東あたりだけでなく、新竹、苗栗、台中、花蓮などにも住んでいるそうなのですが、客家といってもそれぞれに言葉の違いがあるそうです。
日本が統治した際にはほかの地名と同じく客家の村の名前も改名させていて、いま自分たちが呼んでいる屏東、佳冬、美濃なども日本軍の都合で変えさせた地名と知りどんより。
今年5月に出版された、不忍ブックストリート仲間の中村加代子さんが翻訳した朱和之 著『南光』( 春秋社)で描かれた写真家・鄧南光も客家の出ですが、会場には南光によるみかん収穫後の台湾客家一族の集合写真が展示されていました。なかなか取りかかれずにいましたが、旅に携帯していて宮地は旅のあいだに読了。わたしも帰ってきてさっそく読みはじめました。

そしてメイン会場で開催中の「吟遊詩人の世界」展。
https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/51494
会場に入った途端になんともいえない開放感に満たされました。さまざまな言葉、さまざまな楽器による吟遊。資本主義、植民地主義の先のなさを知りながら尚、弱肉強食的な取り返しのつかない犠牲を強いている「先進国」にずっと膿んでいたので、まだまだ地球の大部分を占めるであろう多様さを目の前にして少し希望が湧いてきたのかもしれません。(とはいっても、まぁ大方が資本主義にはとり込まれているのですけれど。)
エチオピア、タール砂漠、ベンガル、ネパール、瞽女さん、モンゴル、マリ。それぞれの小部屋ができていて、音の出る展示なのに影響しあわないで上手に展示されていることにも感心しました。ボリューム的にも見やすかったです。

  

ベンガルの絵語り師集団ポトゥアは、イスラーム教徒でありながらヒンドゥー教の村をまわるためにヒンドゥー神話や社会問題を巻物に描き、歌で語るそう。パンデミック下に描かれたコロナの脅威の絵巻物が展示されていて、ウィルスはとてもリアルに描写されていて、政府でもなく医療機関でもない民間的な情報伝達が新鮮でした。

2階の「研究者のまなざし」のコーナーでは、アボリジニの村で苦心なさった保苅実さんの研究ももしここにあったらどのように展示されていたかなぁなど思いを馳せたり。

時間の許す限り常設展も。ベドウィンの展示を見て、小坂忠さんがうちでライブをしてくださった時に、ベドウィンのテントでコーヒーのもてなしを受けた話をしてくださったことを思い出しました。

 

外を見ると虹が。そういえば朝も家のベランダからだから一瞬だけ虹が見えたのでした。

帰り道、太陽の塔は逢魔が時に本領を発揮すると確信。

 

民博のあとは、たまたま数週間前にタイムラインで知った片桐水面さんの個展「装画」 を開催中のgallery yolchaさんへ。
https://yolcha.jimdofree.com/exhibition/
大きな通りから一歩入ったら、アスファルト舗装が切れて低い建物が続く砂利の路地。まるで夢の世界がはじまるようでした。片桐さんが描く架空の「装画」にお客さんが物語をつけていく、双方参加型の展示でした。自分たちは民博で頭がいっぱいになってしまっていて物語を考える隙間が残っていなかったのでひたすら眺めていただけですが、屋根裏のような小部屋で物語を待つ絵に囲まれながら珈琲。至福でした。

天王寺区に移動し、旅の宿葆光荘へ投宿。近代建築画家・コジマユイさん、藤沢うるうさんのユニットわくわく建築発行の『天王寺区の近代建築』にも載っている建物は、女将さんによるともとは武家屋敷だったそうで、玄関の引き戸に仕掛けがあるなど、建築的たのしみも満たされる宿でした。(朝ごはんは揚げたての天ぷらつき!)
おたのしみ大阪の晩ごはんは、宿から目と鼻の先にあった、すしセンター裏天王寺へ。
近所にあったら入り浸るお店でした。

さらに欲張って味園ビル詣へ。宿の門限ギリギリでお店には入れなかったけれど、最後に見らたことに感謝。