明けましておめでとうございます。
本年もみなさまのお運びを心よりお待ちしております。
大晦日から読みはじめた『依田勉三と晩成社』(井上壽著・加藤公夫編/北海道出版企画センター)を昨夜読み終えました。
表紙のマルセイブランドのラベルに惹かれて読みはじめたのですが、十勝開拓の祖として映画にもなり、テレビでも紹介されている依田勉三が、本当に「農聖」「拓聖」だったのかを検証している本でした。
明治15年、伊豆は松崎にて同志と晩成社を立ち上げ、当時は陸路の開けていない十勝内陸に入植し、資金難、未熟な農業知識、トノサマバッタの大群飛来、マラリア、早霜、遅霜、大雪、野火、放火、小作人の逃亡、家畜の餓死、椎茸のホタギの全滅、亜麻工場の失敗、仲間割れ、幾多の困難見舞われ、頑固で思い込みがはげしく経営者としての才覚も乏しく、よい意味で他人に執着がなく傍から見れば交際嫌い、多額の負債を抱え込みながらも、40年近くもの間、自らの閃きに突き動かされ続けた依田勉三。
いやはや、年頭から思いがけないパンチを喰らいました。なんなのでしょう、この不屈ぶりは。
明けても暮れても不運の連続。なぜこのうららかな正月にわたしはこの本を手にしてしまったのか。
勉三晩年となる大正9年に、「豊作」の文字が出てきたところでやっと一息、せめてもの救いとなりました。
ふぅ。。
いまの世に生きるものとして然と心に留めておきたいのは、晩成社の面々が、先住民であるアイヌの人々の存在を尊び、生きる知恵を学び、相互扶助の関係を築き大切にしていたこと。特に、同志の渡辺勝、先発し独り先に越冬を体験した鈴木銃太郎(後に晩成社から離脱、アイヌの娘と結婚)の二人はアイヌの人々から慕われていたようです。
勝手に期待を膨らませていたおいしい乳製品の製作秘話などはなく、晩成社における数少ない成功事業だと思われる「マルセイバタ」はじめ乳製品については、わずか10行の記述のみでした。
帯広百年記念館のサイトの中に、勉三にスポットをあてた「寺子屋・百年記念館」を見つけました。
資料によると、マルセイバタは、東京では上野・広屋商店のほか、森鴎外、森茉莉、平塚らいてうらが常連だった本郷のカフェー兼食料雑貨店の青木堂へ卸していたそう。
今や誰もが知っている六花亭の「マルセイバターサンド」のラベルはこの晩成社のものをご当地物としてパッケージにあしらったそうですが、それよりも70年ほど前、うちの店のすぐに近くまで、元祖マルセイバタが届いていたとは!
ということは、同じ頃、谷中のこぎり屋根のリボン工場で社長をしていたハイカラ紳士、渡辺四郎さんも口にしたことがあったかしら。
どんな味だったのかなぁ。
(宮地美華子)
(おまけ)
この本を手に取った確か前日、ネットで見つけたレシピで発酵バターを仕込みました。
乳製品に囚われたのは、結果的に読書とともに年を越したこの存在が大きかったのかもしれません。単純です。