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古書組合に入りました

 4月9日付けで、東京古書組合に加入しました。

 1998年に古書ほうろうを始めてからちょうど20年、その間、組合に入らず、この店で買った本だけをこの町で売ってきました。おそらくあまり例のないことで、にもかかわらずそれが成り立ったのは、ひとえにこの町に暮らす本好きのみなさんと、気に入って通ってくださるお客さまのおかげです。心から感謝しています。今回のことを谷根千工房の山崎範子さんにご報告したら「ほんと奇跡的よね」と仰ってくれましたが、まさにその通りで、たとえば羽鳥和芳さんの1万冊に及ぶ蔵書を買い取ったときも、さまざまな方の協力のもと、光源寺での「羽鳥書店まつり」というこれ以上ないかたちで売り切ることができました。
「ぼくたちの仕事はお客さまがお持ちくださった本をきちんと並べることです。この店の棚をつくっているのはこの町のみなさんでもあるのです」と、取材のときなどしばしば言ってきましたが、そのことは本当に誇らしく、だからこそ、組合に加入すること(=市場で本を買い、市場に本を売ること)についは大変悩みました。このまま続けていくことも、決して不可能ではないのですから。

 それでも加入を決意したのには、もちろん理由があります。ひとつはこの4月で50歳になり、「せっかく古本屋になったのに、このまま市場や組合のことを知らずに死ぬのはもったいないのでは」という気持ちが湧きあがってきたことです。身体のあちこちがガタついてきて、先行きについて考えざるを得ない毎日ですが、もし入るならそろそろタイムリミットなのでは、と。今回、加入にあたっての保証人は、稲垣書店の中山信行さんにお願いしたのですが、2006年の「稲垣書店がやってきた」は、古書業界とほとんどつながりのなかったぼくたちが、初めて「古本屋」の凄さに触れた事件でした。同じ「古本屋」なのに、やっている仕事も扱っている本もまったく違う。組合に入ればああした深い世界の一端を覗くことができるのかも、と強く意識しました。また、会期中のイベントの打ち上げで彷書月刊の田村治芳さんが仰った「組合は楽しいよ。絶対入ったほうがいいよ」という台詞とそのときの表情は、その後田村さんが亡くなってからもずっと心の片隅にあり、決断を後押ししてくれました。

 もうひとつの理由はもっと現実的な話で、市場で本を売りたい、これに尽きます。この店が長年抱え続けてきた最大の問題は、本の出口が売れるか捨てるかしかないということで、つまり、売れないけど捨てられない本(たくさんあります)の行き場がないのです。なので、よい本が大量に持ち込まれても、それをすべて出すスペースをつくれない。「ちょっとの間だけ」と箱につめた本が、そのうち存在すら忘れられ、バックヤードの奥深く眠りについてしまう。この20年は、ある意味そんなのことの繰り返しでした。これを解消するには市場を活用するしかないことは、もうずっと前からわかっていたのですが、今回ようやく踏み切ることができました。
 しばらくの間売れなかったものは、大切な本以外市場に出す。毎週バックヤードの整理をして、この店に相応しいものは棚に並べ、売りづらいものは市場に出す。言うほど簡単でないのはわかっていますが、こういう作業を地道に繰り返していけば、地層のように積み重なった大量のダンボールも確実に減るはずで、なにより店内の棚が今よりずっと活き活きとするでしょう。また、お金とスペースの問題で二の足を踏むこともあった大量の出張買取を、躊躇せず受けられるようになるのも気持ちのうえではとても大きいです。 
 あとこのことは、この場所でいつまで店を続けられるのか、という問題とも関わっています。古書価も売り上げも年々下がっていくなか、これからも家賃を払い続けられるかは完全に未知の領域です。閉店はともかく、移転縮小というのは決してない話ではありません。けれど「これは!」という物件が見つかっても、現在の状況ではおいそれと動くことはできません。いざというとき大量の本をさばく手段として、またそのときに備え身軽になっておくためにも、市場の存在は魅力的に思えました。いずれにしても、自分がちゃんと働かない限り絵空事に過ぎないので、まずは定期的に出品(市場に売りに出すこと)できるよう、仕事のやり方を変えてみるつもりです。

 加入からちょうどひと月を経た一昨日、新組合員のための一日経営員体験をさせていただき、いよいよ市場にもデビューしました。経営員というのは神保町の古書会館で毎日開催されている市場(正式には「交換会」)の運営スタッフで、ぼくがお世話になったのは毎週水曜に開かれる「東京資料会」。様々な古本屋が持ち込んだ大量の古本や資料が、入札を経て、また別の古本屋に渡っていくのを初めて目の当たりにし、ただただ興奮しました。「古本屋にしては、目にしてきた本があまりにも少ないのではないか」という劣等感も、じつは今回の決断に影響しているのですが、やはりこれを日々見ているのといないのとでは全然違いますね。後片付けを終えたあとの終礼で「どうでしたか?」と訊かれ、思わず「楽しかったです!」と言ってしまいましたが、それがいまの素直な気持ちです。
 右も左もわからない新米に暖かく接してくださった資料会のみなさん、直接指導してくださったサンカクヤマさん、さまざまなアドバイスをくださった同業のみなさん、ありがとうございました。そして、石神井さんに「待ってたよ!」と言っていただいたのは、とてもうれしく励みになりました。張り切っていきます!

音の台所&春畑セロリ『ゼツメツキグシュノオト』絵本、CD、楽譜が入荷しました。

『ゼツメツキグシュノオト』というタイトルのすてきなデザインの絵本と、CDと、楽譜が入荷しました。

絶滅危惧種に指定されている生きものに思いをよせて作られた、絵と、詩と、ピアノ曲。
毎月、一種ずつ、彼らの鳴き声や習性から音楽的な特徴を見つけて、音の台所さんが絵と短い詩を書き、春畑セロリさんが楽譜1ページ分くらいの小さな曲を作る、音楽之友社のweb連載のなかでのお二人の共同作業から生まれた作品たちです。

生きものに音楽的な特徴?
すぐにはピンとこないかもしれませんが、
例えば、一番初めに登場する「リュウキュウコノハズク」は、南の島の小さなフクロウ。
南の島の日の暮れた森には、コホーッ、コホーッと雌を誘う雄の鳴き声が響くのだそうです。
音楽的な特徴は、「エコー」=反射音、こだま効果。
リュウキュウコノハズクは、「エコー」というタイトルの詩になって、ほら、月を見ています。
ピアノの曲名は「リュウキュウコノハズク」。

こんなふうに絵本では、左のページに、曲の中からもっとも特徴を表してる部分の小さな楽譜。
右のページには生きもの暮らす風景の絵と短い詩。

小さな楽譜を眺めて音を想像して、詩を小さく声に出して読んでみる。紅型染のようなきれいなグラデーションのイラストをうっとり眺めてるうちに、いつのまにか小さな絵本の見開きから、夜の森が立ち込めてきて、何か生きものの気配を感じてきます。そしてまた左の楽譜に目がいくとピアノが聴こえてくるようで…いつまでも絵本のなかを漂う心地よさ。
そしてこの楽譜、小さいのに何か不思議な魅力があるなぁと思ったら、この絵本のために音の台所さんが作ったオリジナル書体なんですって!

そんなふうにしてできあがった、18の絵と詩と曲たち。

1. リュウキュウコノハズク/エコー
2. リュウキュウアカショウビン/ポルタメント
3. エゾナキウサギ/ポコ・ア・ポコ
4. ラッコ/タイ
5. アオウミガメ/フェルマータ
6. アマミノクロウサギ/クレッシェンド
7. イリオモテヤマネコ/ソット・ヴォーチェ
8. ヤンバルクイナ/スタッカート
9. ナゴラン/トリル
10. リュウキュウウラボシシジミ/ピアニッシモ
11. サンゴ礁/デクレッシェンド
12. ライチョウ/パウゼ
13. ニホンリス/ヴィヴァーチェ
14. ホッキョクグマ/ラルゴ
15. クマゲラ/レッジェーロ
16. ニホンモモンガ/グリッサンド
17. チーター/プレスト
18. カカポ/コモド

こちらは、ニホンリス。音符を見るだけでもすばしっこい姿が目に浮かぶよう。

生物学方面の専門の方々も、この作品たちを後押ししています。
絵本、CD、楽譜とも、巻末には、科学コミュニケーターの深津美佐紀さんによる、それぞれの生きものたちの説明や、絶滅危惧種データが収録されていて、生物学的にもさらに詳しく知ることができるようになっているのです。
音楽と生物学を行ったり来たりできる!

CDには、音の台所さんによる詩の朗読も収録されています。内藤 晃さんの弾くピアノが繊細で優しくて、イラストにぴったり。

楽譜には、さまざまな上演方法が提案されています。店のピアノをちょこっと弾いてみてもいいですよ♪

以下は、楽譜のまえがき、総合地球環境学研究所の阿部健一さんによる「生物学者はピアノが弾けない」に書かれている文章の一部です。

“「絶滅危惧種」も「生物多様性」も、実は、われわれ生物学者が創った言葉だ。仕方がなかった。生き物のことを頭で考える人が多くなったから、難しい言葉を使って理詰めで説明しなければならなかった。でも生き物を想うときに必要なのは、心に響く言葉だ。本当に大切なことはやさしい言葉で語られている。
 その言葉を、音の台所さんの絵と春畑セロリさんの音楽がつくりだした。音楽は究極のやさしい言葉だと思う。頭ではなくて心に語りかける。”

そうか。学者のみなさんも、ほんとうは難しい用語ばかりではなく、生きものたちを優しい言葉で語りたかったのだ。生きものと出会うきっかけに、音楽という扉もあってもいいのだな。

音の台所さんとほうろうとは、不忍ブックストリート実行委員仲間でもありました。
ブルクミュラーのピアノ曲と童話を題材にした、ピアノと語りでつづる「音楽紙芝居」は、古書ほうろうでやっていただいたこともあります。
なので音の台所さんの作品がこんなふうにすてきな装いで、手に取れる姿になって、ご紹介できるのがもううれしくて!
ぜひぜひ店頭で実際にご覧ください。

ゼツメツキグシュノオト特設サイトもキュートです。あわせてご覧ください。⇒

発行:らんか社
絵と文:音の台所
音のモティーフ:春畑セロリ
本体1,800円+税

日本アコースティックレコーズ
曲:春畑セロリ
ピアノ:内藤 晃
文・朗読:音の台所
本体1,500円+税

音楽之友社
作曲:春畑セロリ
絵と文:音の台所
本体1,400円+税

ウインドウを替えました。今回は、ささめやゆきさんです。

ささやかに集めていた、ささめやゆきさんの本、装画、挿し絵を書かれている本を並べました。既にお買い上げ戴いた本もありますが、ひとまずパチリと記念撮影。
こうして並べてみると、微妙な色づかいのなかでもグリーンが印象的です。ささめやグリーンと名づけたい。
しかし、写真ではこのニュアンスをとらえるのがとても難しく、ぜひ実物を手にとってご覧いただきたいです。

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

楽譜集『雨ふり水族館』
作詞:新沢としひこ/作曲:中川ひろたか/ピアノ:上田浩司/絵:ささめやゆき 旬報社 2002年初版帯
3,000円+税

上田浩司がピアノを演奏する同タイトルのインストゥルメンタルCDのこちらは楽譜集で、ピアノ用、歌用の譜面と、表紙だけでなく、全ページにささめやゆきの絵が入り、絵本のような一冊に仕上がっています。

この企画の最初からCDのジャケットは、ささめやゆきさんしかいないと、ぼくは思っていた。
少しアンニュイな、ヨーロッパ的な上田の曲想に、ささめやさんの絵はぴったりだと思った。
(この本をつくるために 中川ひろたか)

ここ最近のほうろう〜心地よい音楽♪

2月22日のCHIZライブから2週間。ほくほくした気持ちが続いてます。一昨日は、エマーソン北村さんのセッションにCHIZの鬼頭哲さんが加わってのライブにも、店を早仕舞いして出掛けたりして。

CHIZのライブは久々に出演者の多いライブとあって、前日から少しずつ会場をつくりはじめましたが、一昨年初めて声をかけていただいたときにタイミングが合わずお断りしてしまった経緯などもあり、いよいよこの日が来たぞ〜と歓びをかみしめつつ黙々と作業する時間はそれはそれで格別なものがありました。終えて翌日も余韻というよりまだライブの中にいるみたい。店を元に戻すもの惜しいような感じで、棚を戻す前に十数年ぶりにワックスを引っ張り出してきて床を磨いてみたり。そんな気持ちにさせてくれるライブでした。

ようやく叶ったCHIZのライブは、なんとエマーソン北村さんがゲスト参加してくださってスペシャルヴァージョンとなったのですが、宮地からそう決まったと聞いたときには、それぞれの音楽が自分の中ではまったく違う世界という認識だったので、どんなことになるのかまったく想像できずにいました。

果たして当日、CHIZの音調整のタイミングで現れたエマーソンさんのリュックから現れたのは小さなキーボード1台。
適当な机がなく、背の高いスツールと背の低いスツールをお渡しすると、背の高い方にキーボードを置き、低い方に腰掛けて、CHIZと一緒にバランスの調整をして、さぁ、いよいよリハーサルかと思いきや、エマーソンさんと鬼頭さんが言葉でちょこちょこっと(と、私には見えました。)やりとりし、あとは曲順を決めただけで本番を迎えたのでした!

CHIZのHPにもありますが、CHIZのコンセプトは「照喜名俊典プロデュースによる鬼頭 哲楽曲集」ということで、鬼頭哲さん(バリトンサックス)のつくった曲を、ユーフォニアムの照喜名 俊典さんをリーダーに、チューバ・西本 翔一さん、ギター・斉藤 拓人さん、ドラム・近藤 久峰さん、クラリネットとヴォーカル・小田 美沙紀さんが演奏するのですが、ふつうバンドだとそれぞれパート譜を見ながらの演奏となるそうなのですが、CHIZは、メロディ譜を地図に見立て、全員が同じ地図を見る。どこに行っても最後はここに帰って来ればいいというのがたったひとつの決まりごと。そんな彼らの奏でる音はひとつひとつが優しく、いろいろを考えて考えて考えて受け入れて消化して、結晶のようにひとつひとつの音が生まれてくる感じがしました。押しつけがましくなく、傍にいるだけでだんだんと気持ちが上に向いて、よし、もうちょっと歩いてみようかと思えてくるような。
そこにエマーソンさんのキーボードが、もうそこしかない!という感じで入ってくるのです。口頭でやりとりしただけで、小さな鍵盤からどうしてこんな世界が広がってしまうのか。もうすげ〜としか言いようがありません。
ジプトーンの天井が底ぬけに広く高い空になりました。最っ高!!


一昨日のエマセッションは、ぶっ放すっていう感じで、エマーソンさんの七変化にかぶりつきで、はうっとなったまま全身で音を浴びてきました。
そんな流れで、明後日、3月10日(土)は、好評で3回目となる「エマーソン北村を聴きながら 本を探したり、立ち読みしたり」を迎えます。CHIZとのライブで弾いてくれた小さな鍵盤がまた活躍しそうです♪ そしてほうろうのシュベスターピアノもきっと。

それから今回はちょっと腰掛けられるようにスツールをこれまでより多めに店内に配置しておくつもりです。店は通常営業中、ご予約不要、入場無料、出入り自由、エマーソンさんへの敬意のカンパ大歓迎です。
エマーソンさんが生演奏してる古本屋なんて、自分の店ということを忘れて立ち読みしたい。もうほんとうにご機嫌なので、ひとりでも多くの方に聴いて欲しいです!
ぜひぜひふらりと最高に贅沢な立ち読みをしに来てください! 夜の演奏のあとにエマーソンさんのミニトークも予定しています。

時間など詳細はこちらから→ https://horo.bz/event/emersonkitamura20180310/

ウインドウの平野甲賀さんのリトグラフも入れ替えました。なかなか間近で観る機会はないと思いますので、紙に踊る甲賀グロテスクを息を殺してご覧ください。
(宮地美華子)

平野甲賀リトグラフのミニ展示

ウインドウを入れ替えました。

ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催中の「平野甲賀と晶文社展」にはみなさまもうお出かけになりましたか?
遅ればせながら水曜の定休日にやっと観に行ってきました。

表情豊かな文字たち、甲賀さんの手によりずんずん発展した文字たちが、紙の上でなんともたのしそうにしていました。
見たことのある本もシリーズの仲間と並んで、あれっ?と思うような別の顔を見せてくれたり、とても新鮮。
どうしたらこんなことを思いついてしまうんだろう!

熱に浮かされ店に戻り、展示の仕方を考え続けてじつは長いこと宿題にしてしまっていた甲賀さんのリトグラフたちを広げ、やっぱり額装はやめようと。平野公子さんからお預かりした時に、「額装せず、そのまま飾ったほうが断然いいの。」と仰っていたのがずっと頭にあり、確かに2013年の武蔵美での展示も額に入っておらず(一部入ってたかな?)、額装に慣らされている身としては、そのおおらかな展示に、大胆だぁ!と畏れおののき、しかし大切な作品をお預かりしてる者としてはビビります。まさかうちの店で生展示はないでしょ、と、フレームに入れて並べたこともあったのですが、生気を塞いでいるような気持ちになって、また仕舞ったり。

で、やはり水曜日に観たgggも裸で勝負的な展示、地下に並べられた甲賀さんの装丁した本たちも閲覧自由、いかにも甲賀さん、公子さんがそこにいらっしゃるかのような体温が感じられていいなあ、と。(警備員さんも手にこそしてなかったけど、たのしげにチラ見してて) やはりこれだ!と、店に戻ってウインドウにそのまま並べてみたら、すばらしい!となった次第です。

3月末くらいまで途中入れ替えながら、毎回8点ずつ、ウインドウに展示します。多くの方にご覧いただけますようお待ちしております!

gggでの「平野甲賀と晶文社展」は、3月17日(土)まで。あわせて代々木上原の古書ロスパペロテスさんでは平野甲賀 文庫装丁フェア「ポケットに平野甲賀展」も開催なさってます。

展示したリトグラフの1点ごとの写真は、こちらのページにまとめてアップしました。(それぞれクリックで拡大されます。)⇒ 平野甲賀リトグラフ

>> 3月8日入れ替えました。次が最後の入れ替えです。2週間後ぐらいを予定しています。

>> 3月23日最後の入れ替えを行いました。4月1日(日)まで展示予定です。ぜひ間近でご覧ください!

宮里千里 録音『久高島 イザイホー』と宮里綾羽 著『本日の栄町市場と、旅する小書店』

 年末に大竹昭子さんから、ほうろうに合うと思うのよ〜と、音源集CD『琉球弧の祭祀 久高島 イザイホー』を戴きました。

 イザイホーとは、沖縄の久高島で、12年に一度行われる神職の任命式で、神事の多い久高島でも最大規模の祭祀ですが、経験者の高齢化や生活の変化に伴い、録音されたこの音源の1978年のイザイホーが、今となっては最後の開催となってしまっています。
 「エーファイ、エーファイ」という女たちの祈りのことばが、一直線に魂に飛び込んできて、知らず知らずのうちに凝り固まっていた身体が細胞レベルで一気に解放され、鳥肌が立ちました。

 さっそく大竹さんにお礼のメールをお送りしたところから話がとんとん拍子にすすみ、イザイホーの録音をした宮里千里さんと大竹昭子さんのお話会を、6月14日に古書ほうろうで開くことになりました。→宮里千里と大竹昭子のアッチャーアッチャーじゃらんじゃらん

 そんな流れから、1月に入ってからは、耳から『イザイホー』、目からは宮里千里さんのお店〈宮里小書店〉副店長・宮里綾羽さんが書かれ、ボーダーインクかr出たばかりの『本日の栄町市場と、旅する小書店』をお弁当のおともに読んで、夜は千里さんの『アコークロー』(ボーダーインク)、こちらは版元品切れのためネットで探して、那覇のちはや書房さんから送っていただいて読んでいます。

 そして『本日の栄町市場と、旅する小書店』は、名残惜しくも本日読了しました。
 読みながら同じく古書店を営む自らの日々を振り返るわけですが、この20年、買い物の仕方をはじめとする、生活スタイル、店の業務内容、いろいろが様変わりしました。ちょっと便利が行き過ぎたかなーと思います。遠くの人とは(錯覚も含め)近くなったけど、近くの人とは遠くなる、というか、意識してないと目の前にお客さんがいるのに、ネットの注文の返信や、何かを発信するのに夢中になっていたり、ねじれた日常が当たり前になりました。
 この本には、古書店の経営やノウハウではなくて、常連さんや、お客さんと綾羽さんとのやりとり、超至近距離のお向かいさんとの日常、市場のほかのお店の店主さんたち、それぞれ生きざま、人生がとても温かな視線で描かれています。ひとつひとつのエピソードが愛おしくて愛おしくて、あぁ、気をつけないとこういう大切なひとつひとつを失ってしまうなぁと。一年の初めに、とても大事なヒントが詰まっている本に出会えたなぁと思いました。
 そして本の構成も素晴らしく、後半の、父・宮里千里さんの『アコークロー』への反撃(笑)からはじまる、アコークローではまだ小学生だった綾羽さんが、ひとまわりして、親への感謝や、きっと心の中の一番大事なものを語ってゆく流れは、いま書きながら思い出して泣いてしまう。
 一編、一編は短くてとても読みやすい分量でいて、なんかもっとたくさんの文章を読んだような読後感は、綾羽さんの文章の素晴らしさだと思います。

 CD『琉球弧の祭祀 久高島 イザイホー』(2,000円+税)とともに、宮里綾羽著『本日の栄町市場と、旅する小書店』(1,600円+税)、そしてボーダーインクの新城和博さんが書かれた『ぼくの〈那覇まち〉放浪記』(1,600円+税)お取り扱いしています!

トークイベントに行ってきた!


 近所の往来堂書店がトークイベントを開催するようになりました。本日はその2回目、「南陀楼綾繁と金井真紀がえらぶ人人本フェア」に合わせてのトークでした。
 客としてトークベントに行くのはいつ以来かしら。いやぁたのしみましたー!

 昨年末にビレッジプレスから『編む人』を出した南陀楼綾繁さんと、『パリのすてきなおじさん』(柏書房)が3刷り目に入った金井真紀さん(隣で羨むナンダロウさん)、インタビュアー同士の対談とあって、聴き慣れたナンダロウさんのトークのリズムが、金井さんの切り返し質問によって、違うリズムに変化したりして、とても新鮮でした。
 お二人がそれぞれに聞き手の仕事をしてきて培ってきたもの、臨場感を出すための書き方、つきなみを恐れない、ひとつめの質問、などなど、興味の尽きないお話でした。
 紙面に掲載するためのインタビュー、ライブでのトークイベント、それぞれに難しさがあると思いますが、トークイベントでは聞き手として構成を考えつつ、逸れ行く話を操縦しつつ(ときに流れに身を委ね)、時間枠を気にしつつ、お客さんをたのしませるショーにするというのは、瞬間瞬間の臨機応変な対応が求められることで、なんというか反射神経や運動能力のようなものも必要な技、でもわざとらしさが透けて見えてしまうとお客さんは敏感に反応するだろうし…。眼の前で繰り広げられるトークを見ながら、そんなことをやってのけてるお二人はすごいなぁと、吹き出しながら、大いに感心しました。

 人人本フェアは、往来堂書店、入り口正面で展開中です。石川桂郎『俳人風狂列伝』、宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』、今夜急遽リスト入りした、吉岡逸夫『夜の放浪記』(水族館劇場も載ってる!)、野村進『解放老人』、石田千『唄めぐり』などなど、そそられます。〝この世界にはいろんなひとがいるなぁ、と思わせてくれる本が好きです。(フェア冊子より)〟な本モリモリです!