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田川可琳さん

不忍ブックストリートを知ってくださってるみなさまへ

一箱古本市を前にとても悲しいお報せが届きました。
不忍ブックストリートの実行委員仲間の田川可琳さんが、2022年3月28日急性心不全で急逝なさったそうです。
実行委員のSlackでは一箱古本市に向けやり取りが増えてきて、田川さんのお返事を待っていたところでした。
28歳だったとのこと、とても残念で、信じられない信じたくない気持ちです。
体調を崩されていたそうなのですが、まさかこんなことになるとは、おそらくご本人もご家族も思われていなかったようです。

田川さんは2017年に「しのばずくんの本の縁日」ではじめて助っ人さんをしてくださって以来、2018年は新しいMAPを配ってくださり、2019年には実行委員募集にお応えくださり、当日は南陀楼綾繁さんとともに「アイソメ」のスタッフとして詰めてくださいました。スタンプラリーをまわってくださった方もたくさんいらっしゃったと思いますが、「不忍ゆく先には本や」の文面は、いくつもの候補のなかからしのばずくんにより選出された、田川さんが考えてくださったものでした。

古書ほうろうにとってもかけがえのない方でした。
最後にお目にかかったのは、昨年9月23日だったと思います。感染拡大で一箱古本市が開催できないなか、7月7日からスタートした「お店で一箱古本市」に田川さんが〈可琳堂〉としてご出店くださった、その搬出の日でした。感染者数急増を受け急遽臨時休業、田川さんの〈可琳堂〉も中断となってしまったのに、営業再開をよろこんでくださいました。
いったん電車の距離にお引っ越しなさってまた歩ける距離に越してこられたあとで、池之端への道順などをお話しました。まだお話の途中のようです。

わたしたち自身もまだ受け止めきれていませんが、田川さんが居てくださったことを言葉にしてご家族にお渡しできたらと考えました。
もしよろしければ、お手紙、カード、メールなど形式は問いませんので、5月15日までに古書ほうろうまでお寄せください。責任を持ってお届けいたします。
(メールの場合は文章をこちらでプリントアウトします。)

 110-0008
 東京都台東区池之端2-1-45 パシフィックパレス池の端104号
 古書ほうろう 03 3824 3388
 koshohoro*gmail.com(*→@)
 営業時間:月火定休/12〜20時

 

初めてお目にかかったのはいつだったか、いつの間にかお客さんとして頻繁に通ってくださるようになっていて言葉を交わしていました。「しのばずくんの本の縁日」のお話をしたところすぐに助っ人さんとして申し込んでくださいました。初めての試みで不安だらけのイベントに、若い田川さんが興味を持ってくださったことがうれしく、背中を押してもらえたような気持ちになれたことを憶えています。
縁日当日は、実行委員店舗のレジ係を担当してくださいました。一緒にレジ番をした時間帯はなんだか暇で、とりとめのない話を聞いてくださったことを少しひんやりしはじめた養源寺さんの境内の空気とともに思い出します。

神保町の書肆ひぐらしさんでのお手伝いのこと、お姉さん、妹さんのお話をするときのキラキラ輝いたお顔、声、吉上恭太さんのサウダージな夜でたのしそうにしていた後ろ姿が忘れられません。
北村太郎『港の人 付単行本未収録詩』はほうろうで買いたいと入荷を待ってくださったり、2019年の当店の移転の際もお手伝いしてくださいました。

とてつもなくチャーミングなできごともありました。その年の秋のこと。
ふいに現れた田川さんが「開店おめでとうございます。」とニコニコ鞄から取り出したのは大きなバターナッツ南瓜でした。珈琲をご注文くださって、席にお持ちすると「ミカコさん、栗、食べますか?」と、今度は大ぶりな栗がふたつ、鞄から出てきたのでした。
マジックを見せられているようなたのしさ、田川さんの思いつきがなんとも可愛らしく、自然が好きなことは会話の端々からうかがえていたけれど、この方はほんとうに森の精か何かではないかしら、と真剣に考えたものでした。

〝入り口にホワイトボードがかけてあって、「今日入荷した本」と「昨日売れた本」が書いてあるのが好きだった。店とお客との間に循環する流れがあることが分かる。〟
こちらは2020年、経堂の大河堂書店さんの閉店を知った際の田川さんのツイートです。
影響を受けたわたしはさっそく黒板をひっぱり出してきて店先に入荷情報を出すようになりました。そのことはお伝えできたのだったか。

書道家でもあり文字への深い思いをお持ちだった田川さん。ある晩夏のツイッターには、公園の広場で地面に水を含ませた筆で文字を書いている姿がありました。

古書店ギャラリーにお勤めのときは作家さんに寄り添い、アニメーション関係の仕事に就かれてからは、やはりかけがえのない存在として本づくりなど丁寧な作業を重ね大きなプロジェクトにも携わっていらしたことを今回のことで知りました。

まっすぐで、好奇心いっぱいで、細やかさと大胆さを併せ持っていて、義侠心にあふれさりげなく人を応援することができる気遣いの人。歳を知れば娘のような年齢だったのに近くから遠くからいつも励ましてくださっていました。
これからどんな翼をのばし、どんなふうに羽ばたかれるのだろうと、夢を感じさせてくれる存在でもありました。

田川さんのお気持ちに自分たちはお応えできていたのか。
もっとお話を聞かせてほしかったですし、とても感謝はお伝えしきれていません。ただただ寂しいです。

田川さんがイベントなどでお付き合いのあった平井の本棚さんから、たまたまこの時期にお店での古本市にお誘いいただいていて、わたしたちの知らないところでの田川さんのご活躍を教えていただき、語り合う機会を与えていただいたことに救われています。いまとなっては田川さんが引き合わせてくださったようにも思えてきます。

広く青い空、真っ白な雲に思う存分文字を書いてください。
どうか安らかに。いつかまたお目にかかれますように。

クルディスタンを描いた児童書 ジャミル・シェイクリーの2冊 メモ

ぼくの小さな村 ぼくの大すきな人たち
ジャミル・シェイクリー 著/アンドレ・ソリー 絵
野坂悦子 訳
1998年 くもん出版

 
いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた
ジャミル・シェイクリー 著/津田櫓冬 絵
野坂悦子 訳
2001年 梨の木舎

イラク北部のクルディスタン出身ジャミル・シェイクリーによる作品です。
『ぼくの小さな村 ぼくの大すきな人たち』では穏やかな村の暮らしが、『いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた』では侵略により生活が破壊され捕虜となる母と子が、どちらも少年の目を通して語られており、クルディスタンの「光」と「闇」、対をなす二作。
『いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた』には、新藤悦子、きどのりこによる解説のほかクルド関連年表が収録されている。

【予告】「〈はじめての総選挙〉お祝い割り引き」を実施します。

市民に目を向けない政治家とおさらばする方法をいろいろ考えて、若い方々の投票率がほんとうに低いのなら、一人でも多くの方に投票に行ってもらいたくて、「はじめての総選挙割り」を考えました。
この秋はじめての衆議院選挙を迎え、投票する方々にお祝い割引きを実施します。
うちの2割引では、よろこんでくださる方そんなにいないかもしれませんが、せめて何か気づきのきっかけになればうれしいです。

未来にたくさんの可能性のある若い人たちにこそ、選挙に行って「政治に注目してます」と政治家の方々に存在感をアピールしてほしいです。
大人ってバカじゃない?と思ったら、ぜひ大切な1票で、意思表示をしてください。

選挙の直前になって慌てないよう、いまからいろいろ調べて投票に行きましょう!
ほうろうの営業がままならなくなるくらいたくさんの投票デビューをお待ちしてます。

 

【対象】
2021年衆議院選挙が * 生まれてはじめての「総選挙」で、投票に行かれた方
* 2017年10月24日から、2021年の投票日の翌日までに18歳になり、選挙権を得られた方

 

【期間】
期日前投票開始日〜選挙日から1ヶ月後まで(詳しい日程は選挙日が公示され次第更新します。)

 

【割引内容】
お会計の際に「年齢の分かる身分証」と「投票済証」をお見せください。
古本、中古レコード・CD、喫茶のお会計から、2割引きいたします(お一人1回限り)。
(新刊など一部除外品あり)

 

選挙の日に予定が入ってしまって投票に行けない、住民票の移動が間に合わない、などの事情がある場合は、
期日前投票制度、不在者投票制度(郵便投票、洋上投票など)、在外選挙制度などが利用できます。
総務省|投票制度⇒


Twitter経由で興味深い記事に出会いました。いまの日本の制度が完成形というわけじゃないですよね。自分たちに近い意見の政治家を増やすことで、変えていける可能性を大切に育てていけるといいな。

日本とフィンランド、地方選挙を比べて見えてきた「決定的な違い」

やさびしいかるた

今週は思いがけないことがありました。

「あの、以前千駄木のお店のときに、お店の前のスペースでかるたのイベントをしたいとお声がけさせていただいて、そのときに貸はらっぱ音地さんをご紹介いただいた者です。」

帳場の前に立たれたのは、読み札と絵札を正解で合わせるのではなく、言葉と写真をその時の直感で合わせるオリジナルかるた「やさびしいかるた」を作っているかわぐちさやさんでした。

千駄木の店のときに、前のスペースを使わせてもらうには、、というご相談だったと思うのですが、ちょっと条件的な難しさもあって貸はらっぱ音地さんをご紹介したのでした。
音地さんで初めて人前でイベントなさったのをきっかけにHAGISOさんで展示ができることになったり、大道芸 ヘブンアーティスト ライセンス認定を得たり、鬼子母神の手創り市に出店したり、といろいろ活動の場が広がっていったのだそう。
「すべてのはじまりはほうろうさんに音地さんをご紹介いただいたことから始まったのです。今年やっと流通できるかたちのかるたを作ることができたのですが、その矢先のコロナで、、でも今日、やっとこちらに来られました!」と、カバンから『やさびしいかるた』を出して、プレゼントしてくださいました。(せっかくなので販売用も1セットお預かりしました。)

うちが何かした、というより、かわぐちさんが一歩を踏み出したことで広がった、のですが、でも、そんなふうに何年もおもってくださってたのはうれしいです。
ここ最近はコロナにも政治もどんよりしがちでしたので、急に雲間から陽が射したみたいな明るい気持ちになりました。

かわぐちさやさんの「やさびしいかるた」(2,800円+税)
 1. 写真の札を場に広げます
 2. 言葉の札を読みます
 3. 言葉からイメージした写真の札を選びます
 4. なぜその札が合うと思ったのか、心の中でまたは言葉にして話をしてみましょう
https://yasabishii-carta.amebaownd.com/

ひとりでも多くの方に見ていただきたくて、店の入口すぐのレンガの壁に、絵札(写真)の一部を貼りました。
左下に読札(言葉)が置いてありますので、こっそり合わせて遊んでみてください。

 

営業再開に際し、古書ほうろうからのお願いです。

お客さまへ

たいへんご無沙汰してしまいました。
コロナだけでなくニュースを見るたび憂の尽きない2ヶ月でしたが、みなさまはどのようにお過ごしでしたか。

古書ほうろうは、6月3日(水)より営業を再開いたします。
営業時間は当面、12〜20時(1時間早じまい)でスタートします。
定休はこれまで通り、月火定休です。

まず物販のみでスタートし、お客さまの流れや感染の状況をみながら喫茶のほうの再開に繋げたいと考えています。

臨時休業中も買い取りのご相談や、通販でのお買い上げ、たくさんの励ましをありがとうございました。
しばらくぶりのご対応で挙動不審になるかもしれませんが、のんびりぼちぼちやってゆきます。
東京の感染者数もいまひとつな動きが不透明のようですので、どうかくれぐれも無理のないようになさってください。

〜〜〜ご入店に際してのお願い〜〜〜

■ 体調の悪い方はご入店をお控えください。
■ 必ずマスクをご着用ください。
お持ちでない方には使い捨てマスクを実費(50円)にてお分けいたしますのでご協力ください。
■ 汗ばむ季節に入りますので、ご入店後、まずは手洗いをお願いいたします。
■ トイレのご使用はしばらくの間ご遠慮ください。
■ 店内に複数のお客さまがいらしゃる場合は、距離感を保つようご協力ください。

臨時休業のお知らせ

新型コロナウイルスの感染が拡大している状況をふまえ、3月28日より営業を見合わせております。

東京都の休業要請期限は5月31日までですが、状況によっては6月1日以降も引き続き休業いたします。その都度判断していくつもりです。

今後の変更につきましては、Twitterで発信するとともにこちらに掲載いたします。なお、「日本の古本屋」での通販は継続中です。

お問い合わせは、メニューのお問い合わせフォームからお願いいたします。
(2020年5月6日更新)

安倍政権による、人権を踏みにじるさまざまな行為は許されるものではありません。
抗議、意見し続けます。

医療従事者のみなさま 病院勤務のみなさま
配送ドライバーのみなさま
そのほか社会生活維持のためお仕事を続けてくださるすべてのみなさまの安全に
少しでも協力できるよう知恵を働かせます。

台湾報告その1 海外神社跡編

1/14〜21に連休を戴いて、台湾を旅してきました。
1年間台北で暮らしている友人家族に会いにいくのが目的だったので、はじめは小さな旅のつもりでしたが、十数年ぶりの海外、次はいつ行けるかわからないと思うと欲が出てしまって、いつのまにか計画は膨れ上がり、6泊7日環島の旅となってしまった次第。

初日と最終日の宿だけ予約し、あいだの4泊は、行き当たりばったり。
とはいえ、予約サイト充実していることが目新しく、4泊分は前日にオンラインで翌日の宿をとる、という流れになりました。まぁ現地に着くとサイトに掲載されていないような宿もたくさんあるんだ、ということがわかったのは学びのひとつでした。

旅程はざっとこんな感じでした。

1日目 羽田→松山→台北→(圓山大飯店/台湾神宮跡)→北投温泉泊
2日目 台北→嘉義泊
3日目 嘉義→台南泊
4日目 台南→屏東泊(阿猴神社跡)
5日目 枋寮→《南廻線》→金崙→枋寮→佳冬(佳冬神社跡)→枋寮泊
6日目 枋寮→宜蘭→瑞芳→金瓜石
7日目 金瓜石(金瓜石社跡)→桃園→成田

着いた日と翌日午後までは、友人夫妻のご案内で、台北の主に書店めぐりをしました。そのご報告はまた改めて。

ピンは宿泊地です。

今回は、海外神社跡を訪ねたご報告です。
台湾行きのタイミングがもっと早かったら、まったく思いつかない観点でした。

昨秋開催した編集グループSUREによる連続トークイベントでお話しくださったうちのおひとり、SUREからは2015年に『「大東亜共栄圏」の輪郭をめぐる旅ーー海外神社を撮る』が出版されている写真家・稲宮康人さんとご縁ができました。
ちょうど、稲宮さんが10年かけて撮影してこられた海外神社跡写真の集大成となる『「神国」の残影』が国書刊行会から刊行されるタイミングとも重なり、当店でも10月後半から年末にかけて写真展を開催させていただきました。
そんな流れから毎日「海外神社跡」の写真をみるようになり、海外神社の存在に思いを巡らせるようになりました。

台湾は、1895年から1945年まで、日本により統治されていた時代があるため、大日本帝国が建立した神社の数も多いとのことでしたので、この機会に訪ねてみよう、と思ったのでした。
稲宮さんからは金子展也『台湾神社故地への旅案内』(神社新報社)をお借りしたほか、こちらの地図の存在も教えていただきました。

 

日付順に辿ると、ひとつめは、車窓から見ただけですが、台北から北投温泉へ向かうMRT淡水信義線から、あれだ!と一目でわかる圓山大飯店〈台湾神宮跡〉を確認しました。

 

緑色のイルミネーション向かって右側に橋があります。

次に出会ったのは、屏東でした。客家伝統茶をたっぷり時間をかけて味わったあと、台湾産のコーヒーが飲めるカフェに向かう途中、屏東公園に〈阿緱神社跡〉の石橋を見つけました。こちらは、稲宮さんの写真集の「著者が調査した海外神社跡地一覧」に名前が載っています。ちょうど旧暦の正月を迎える時期で園内は眩いばかりのイルミネーションに彩られ、若いグループがたのしそうに写真を撮ってました。石橋のかかる池も光を反射させていました。

 

 

3つめは佳冬神社。駅を降りて、まずは客家の住宅が残る小径を散策したのち、ココナツやバナナの農園、なにかわからない養殖池などを両側に見ながら人通りの少ない道を歩いて神社を目指します。神社跡を目指さなければ、ぜったいに歩くことのなかった道です。
バス通りに出てしばらく歩くと、稲宮さんの写真の通りの鳥居が現れました。小さな石橋もわたり、参道を進みます。沿道の民家では、お正月の準備でしょうか、玄関の上に貼られた赤い横長の紙の文字飾りを脚立にのった男性二人がスクレーパーで剥がしているところでした。ほどなくして着いた社殿基壇に上ってみると、鬱蒼と木々が生い繁っていてます。いかにも南国らしい風情の実がたわわになっていました。あとで調べたところコパラミツという名でした。

帰りもスクレーパーの男性二人は気の遠くなる作業を続けていて、先ほどは離れたところにいたおばあさんが脚立の足元まで来ていて、二人に向かって何か指示を飛ばしているのでした。
これを書く段になり改めて稲宮さんの写真集を開くと、参道の両脇にずらりと並んでいた灯篭の痕跡がいまでも見られたっぽい。残念ながらそれには気づきませんでした。

台東駅あたりの車窓からの眺め

幕末の上野戦争のときに寛永寺門主だった輪王寺宮、のちの北白川宮能久親王は、寛永寺から逃れたあと、めぐりめぐって48歳のときに台湾征討近衛師団長として出征しますが、台南にて落命します。皇族では初めて外地での殉職者となったため、台湾の神社の祭神として名を連ねられていることが多いことは、稲宮さんのトークでも説明されたことですが、実際に台湾をぐるっと鉄道で廻り、車窓から、南へ行くにつれ濃度を増していく風景、神々しく聳える山々が織りなすダイナミックな風景を目の当たりにすることで、やっと史実として感じることができました。
ここまでの3つの神社には、能久親王が祭神として名を連ねていたそうです。

 

そして最後が、金瓜石社跡。観光メッカあの九份からもバスで10分くらいのところにもかつて神社がありました。

われわれは夕方の便で日本へ帰る最終日の朝、スーツケースを宿に置き、金瓜石の宿から神社跡を目指しました。

鉱山として栄えた過去を伝える黄金博物館の入口近く、視界を割くように現れたのは、「全家(ファミリーマート)」の看板。店先では店員さんが、なにやら巨大な空気人形のようなものを膨らませようとしているところでした。あまりに唐突な光景に立ち止まりそうになるも、我々の目的は神社跡、黄金博物館もパスしてるので前進前進。
いよいよ登りがはじまるその手前には、鉱物を運搬していたトロッコ軌道跡もありました。黄色味が強い足元の土は、前の晩の雨でぬかるんでいるため、滑らないよう集中しつつ、一歩一歩。山道、じゃなくて参道の石段を登る、登る、登る。
ひとつめの鳥居で腰を伸ばして、振り向くと、山と山の間から遥か基隆の方向に海が見えました。絶景。曇天でしたが様々な鳥の清々しい鳴き声が響きます。
後ろから黙々と登ってきた男性が私たちの写真撮影を待ってくださったり、追い越してもらったり。ときどき立ち止まっては、建物がどんどん遠く小さくなるのを確かめながら、ひたすら登る。
ようやく神社跡に着くと、梅のような濃いピンク色の花が迎えてくれました。先ほどわれわれを追い越した男性は戻ってきたところで、お互いこの石段を制覇した者どうし軽く微笑み、男性は「I’m tired.」と呟きくだっていかれました。

入口の大きな鳥居の柱には、昭和拾弍年七月吉日と彫られていました。
その先には柱だけが何本も天に向かって伸びていました。神社跡というよりギリシャ神話か何かの神殿遺跡のようでもありました。

しばらく絶景を眺めながら息を整えているところに、自分たちよりも15歳くらい年上と思われるご夫婦が到着。奧さんに立ち位置など指示しつつ時間をかけて写真撮影しておられました。

金瓜石社は鉱山の持ち主となった日本鉱業が建立、大国主命、猿田彦命、金山彦命が祀られたそう。それにしても、よくもこんな山の中腹に資材を運んだと思うし、稲宮さんも大判カメラと三脚担いでのぼったんだよね、と遠い目で頂きの方へ目をやると、坑道はさらに山の上の方まで続いているのでした。

下りも滑落しないよう慎重に。中盤から膝が笑いはじめましたが、チェックアウトの時間も迫ってきていましたので、ひたすら下る、下る。
行きに通り過ぎた全家(ファミリーマート)の店先には、空気で膨らませたゲートが設置されていて(人形ではなかった)、なんとこの日がオープンだったのです。黄金色のジャケットに赤いスカーフといういで立ちの、恰幅のよい、どこからどう見てもこちらがオーナーだろうな、とわかる紳士を囲んで野外セレモニーの最中でした。みなさんうれしそうな顔でした。

以上がこの旅でわれわれが記憶したこの日の神社跡の風景です。
行く先々で自転車を借りて周るつもりだったので、もう少し出会えたかもしれないのですが、台湾は右側通行、さらに夥しい数のスクーターが走っており、とても流れに乗れそうになかったので断念しました。
海外に建てられた神社には、日本人移民により建てられたものもあるため、すべてが大日本帝国絡みではないですが、すでに営まれている生活に分け入り、「神」を祀り、そして敗戦とともに廃絶、、75年の歳月が過ぎ跡形も無くなってしまったところも多いでしょうが、その過去は胸に刻んでおかなくてはいけません。
機会をくださった稲宮康人さんとSUREのみなさんに感謝。

はじめに戻りますが、こうしてたった数箇所だけ訪れただけで、稲宮さんの写真集『「神国」の残影』(国書刊行会)がいかに大著かを改めて実感しました。さすがに一家に一冊、というわけにはいかないでしょうが、これからの世代の方々にも伝えるため図書館や学校の図書室にもぜひ所蔵していただきたいです。